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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編146編

聖書日課 詩編146編(新共同訳 旧約pp.986-987)

 詩編の最後の5編(146~150篇)は、「ハレルヤ」で始まって「ハレルヤ」で終わる。そのため〈ハレルヤ詩編〉と呼ばれている。「ハレルヤ」は「主を賛美せよ」という意味だが、150編にもわたる詩編が、主なる神への賛美をもって終わっているのはとても意味深い。

「ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人/天地を造り/海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は/虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち/主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し/主は寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ」(1~10節)。

 これまで見てきたように、詩編には、嘆きがあり、悲しみがあり、祈りがあり、叫びがあり、怒りがあり、感謝があり、賛美があり、喜びがあり…と人間の様々な思いと感情が表されている。しかし、最後は全て主なる神への「賛美」によって終わる。

 これは主に信頼して生きる人生について教えているだけでなく、私達の日毎の祈りの中においても体験されることではないだろうか。嘆きと苦しみで始まった祈りが、最後は希望と感謝によって終わるという経験を、私達は祈る毎に体験することが出来る。

「命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう」

 或る注解者が、「命のある限り…」という決心には、主なる神のために自分の全てを燃やし尽くしてもいいという熱情が溢れていると書いていた。全てのキリスト者が、このような熱情に溢れていたらどんなに素晴らしいことだろう。それはきっと、日毎の祈りの体験によって得られる力であるに違いない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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