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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編149編

聖書日課 詩編149編(新共同訳 旧約p.989)

 第149編は、主への「賛美」を呼びかけるハレルヤ詩編の第4弾である。ここでは主なる神への「賛美」「喜び」だけでなく「踊り」によって表されているところに特徴がある。

「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。イスラエルはその造り主によって喜び祝い/シオンの子らはその王によって喜び躍れ。踊りをささげて御名を賛美し/太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。主は御自分の民を喜び/貧しい人を救いの輝きで装われる。主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み/伏していても喜びの声をあげる。口には神をあがめる歌があり/手には両刃の剣を持つ。国々に報復し/諸国の民を懲らしめ/王たちを鎖につなぎ/君侯に鉄の枷をはめ/定められた裁きをする。これは、主の慈しみに生きる人の光栄。ハレルヤ」(1~9節)。

「踊らない信者というのが私はあると思う」と或る本に書かれていた。「十字架による赦しと救いは素晴らしい」とは言うけれども、それだけで終わってしまっているというのである。

 確かに、イエス・キリストの十字架の御業の意味と、そこに現された愛の大きさに気付く時、私達の中には、躍り上るほどの驚きと「喜び」が湧いてくるのではないか。そして、その驚きと「喜び」が、文字通りの「踊り」を生み出す場合もあるし、〈奉仕や伝道の働き〉となることもある。勿論、それは奉仕や伝道をしなければいけないということではない。躍り上るほどに、福音の素晴らしさを実感しているかどうかが問われている。

 そして、そのためには、主なる神との交わりをより一層深めていくことが大切である。御言葉と祈りと礼拝によって、主なる神に聴き、主なる神と語り合い、主なる神と交わる、そういう体験を日々積み重ねていく時、私達はこのことを知るだろう。

「主は御自分の民を喜び/貧しい人を救いの輝きで装われる」

 私達が主を喜びとする前に、主が私達を「喜び」として下さっている。そのことを知る時、私達は「救いの輝きで装われる」のではないか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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