聖書日課 ミカ書7章(新共同訳 旧約pp.1457-1458)
預言者ミカは、罪と悪に陥ったイスラエルの姿を見て、深い「悲し」みを覚えていた(1節)。人々は「悪事」に走り、家族でさえも最早互いに信じ合うことが出来なくなっていた(2~6節)。
しかし、ミカは悲しみの中に沈み込んでいたわけではなかった。
「しかし、わたしは主を仰ぎ/わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光」(7~8節)。
人生において、「倒れ」ないのは素晴らしいことである。しかし、それよりもっと素晴らしいのは、「たとえ倒れても」、再び「起き上がる」ことではないか。悲しみと苦しみのどん底で、「主を仰ぎ」、待ち望む。その時、主は確かな希望の「光」となって私達を再び立ち上がらせて下さる。
同様に、罪を犯さずに生きるのは実に素晴らしいことである。しかし、たとえ罪に陥ってしまったとしても、悔い改めて「主を仰」ぐことによって、主の赦しと救いをいただくこともまた素晴らしい「恵み」の体験である。ミカはそのことをよく知っていた。
「わたしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない/ついに、主がわたしの訴えを取り上げ/わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る」(9節)。
そして、ミカは主をたたえた。
「あなたのような神がほかにあろうか/咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に/いつまでも怒りを保たれることはない/神は慈しみを喜ばれるゆえに。主は再び我らを憐れみ/我らの咎を抑え/すべての罪を海の深みに投げ込まれる」(18~19節)。
人間の罪深さを知れば知るほど、主なる神の恵み深さもより一層深く理解出来る。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日も、あなたの限りない慈しみをほめたたえ、喜ぶことが出来ることを感謝致します。
主よ、あなたの御子イエス・キリストは貧しく、低められた者として来られ、私達の貧しく虚しい心を満たして下さいました。
しかし、主よ、卑しめられたあなたは、罪と咎を踏みつけ、これを打ち滅ぼす力強い御方、何者も立ち向かうことが出来ない絶大な神でいらっしゃいました。
偉大なあなたが、このような者のすぐ傍に、いいえ、この汚れた心の中に住んで下さるのですか。このような者を背負って下さるのですか。
主よ、言葉にならないこの思い、感謝をお受け取り下さい。
感謝して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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