ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記上3章

聖書日課 サムエル記上3章(新共同訳 旧約pp.432-433)

 サムエルが生まれた時代は、士師時代の終わりであり、イスラエル社会は、信仰的にも倫理的にも堕落し切った状態であった。そのため「主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれなことであった」(1節)。

 少年サムエルは、そのような時代に祭司エリのもとで主に仕えていた。信仰と倫理の退廃は幕屋で仕える祭司たちにも及び、祭儀も軽んじられていた(2章)。

 しかし、そのような状況の中で、主なる神は、少年サムエルに御声をかけ、彼の名を呼ばれた。

「主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、『お呼びになったので参りました』と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。『戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。』サムエルは戻って元の場所に寝た。主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。『サムエルよ。』サムエルは答えた。『どうぞお話しください。僕は聞いております』」(8~10節)。

 主はサムエルを呼ばれた。「サムエルよ」。サムエルは答えた。「どうぞお話ください。僕は聞いております」

 これが、サムエルが初めて主なる神と対話した瞬間である。この時のサムエルの言葉は、主に仕え、主に用いられる者にとって何が大切かを示してくれている。「どうぞお話ください。僕は聞いております」とサムエルは答えた。これは主なる神の御声を求め、御声に聞き従うことの表明である。サムエルは、幕屋で主に仕えながら、御声を聞き分ける耳と、御声に聞き従う心を養われてきた。それ故、やがてイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認め」るようになった(20節)。

 今、私達の時代は、主なる神の臨在から遠く離れてしまったように見える。主なる神の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることも稀であるように思われる。しかし主なる神は、今でも私達に御声をかけておられるのではないか。そして、主に仕える者の名を呼んでおられるのではないか。

 私達にとって何よりも大切なのは、主の御声を聞くことである。「どうぞお話しください。僕は聞いております」と主の言葉を求めることである。主に拠り頼み、主に求める者に、主なる神は応えて下さる。いや、主なる神は既に、私達に呼びかけ、答えて下さっている。何故なら、主なる神は「彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え/まだ語りかけている間に、聞き届ける」と約束して下さったのだから(イザヤ書65章24節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com