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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記上2章

聖書日課 サムエル記上2章(新共同訳 旧約pp.429-432)

 母ハンナは「主に願って得た子供」であるサムエルを(1章20節)、主なる神への誓願通り、主に献げた。主はハンナを祝福をもって「顧みられ」、サムエルは「主のもとで」「すくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった」。それだけではない。ハンナとその夫エルカナは、更に「息子を三人と娘を二人」与えられた(21節、26節)。ここに、主なる神への信仰と祈りに溢れた家庭の祝福がある。

 一方、本章には、これとは対照的に、主なる神に逆らい主なる神の祝福を失おうとしていた家庭の姿も描かれている。それは何と祭司エリの家庭であった!

「エリの息子はならず者で、主を知ろうとしな」い者たちであった(12節)。彼らは、民の献げ物の上前をはね、主なる神への献げ物を重んじる人々を脅し、暴力によって自分たちの欲望を満たしていた(13~16節)。しかも、彼らは、「臨在の幕屋の入り口で仕えている女たちとたびたび床を共にしてい」た。彼らの罪は甚大であった。

「エリは非常に年老いていた。息子たちがイスラエルの人々すべてに対して行っていることの一部始終、それに、臨在の幕屋の入り口で仕えている女たちとたびたび床を共にしていることも耳にして、彼らを諭した。『なぜそのようなことをするのだ。わたしはこの民のすべての者から、お前たちについて悪いうわさを聞かされている。息子らよ、それはいけない。主の民が触れ回り、わたしの耳にも入ったうわさはよくない。人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう。』しかし、彼らは父の声に耳を貸そうとしなかった。主は彼らの命を絶とうとしておられた」(22~25節)。

 エリは主を軽んじる息子たちを諭した。しかし、結局息子たちの思うままにさせてしまっていた。それは、「自分の息子を」主なる神よりも「大事にし」てしまうことであり(29節)、結果的に主を「侮る」罪となってしまった。

「それゆえ、イスラエルの神、主は言われる。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる」(30節)。

 これは、主がエリのもとに遣わされた「神の人」の言葉である。「わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる」。主なる神に対する姿勢と態度が、私達の家庭や人生にどれほど大きな違いをもたらすか、深く心に留めよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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