ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記40章

聖書日課 出エジプト記40章(新共同訳 旧約pp.161-162)

 出エジプト記最後の章は、臨在の幕屋の完成によって終わる。イスラエルの人々は、荒れ野の厳しい状況にもかかわらず、「男も女も、聖所の献納物のためにこれ以上努める必要はない」と言われるほどに献げた(36章6節)。また、「主がモーセに命じられたとおり」であるように細心の注意を払いながら準備してきた(39章32節、42~43節)。そのようにして幕屋が遂に完成した!

「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」(34~38節)。

 幕屋が完成すると、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」。そして、その光景が余りにも眩しかったためか、或いは、恐れを覚えるほどの聖さのためか、モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった」

 私は、このような光景に強く惹かれる。主の臨在に包まれ、「主の栄光」が満ち溢れる光景に深く惹かれる。私達の礼拝が、そのようであることを願う。また、全てのキリスト者が、恐れを覚えるほどの主なる神の臨在と栄光に包まれることを願う。

 私達は、確かに、主なる神について知っているかも知れない。しかし、主なる神の恐いほどの臨在と栄光をどれほど強く求めているだろうか? 私達は、確かに、主なる神を信じているかも知れない。しかし、主なる神の臨在と栄光の御前にどれほどひれ伏し祈っているだろうか?

 知っているつもり、信じているつもりにならないよう、注意したい。

「旅路にあるときはいつも」イスラエルの民は主なる神の臨在の幕屋に目を向けていた。「昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えた」(38節)。そして、「雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発し」「雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで」、そこに留まった(36~37節)。彼らは、日々主に目を向け、日々主の導きに従って歩んだ。ここに神の民の姿が確かに表れている。

 全ての教会が、全てのキリスト者が、全ての礼拝が、主なる神の臨在に包まれ、主なる神の栄光の前にひれ伏すように! また、いつも主に目を向け、主の導きに従って、信仰の旅路を歩むように!

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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