聖書日課 レビ記24章(新共同訳 旧約pp.201-202)
神の箱が置かれていた至聖所の入り口にかけられた「垂れ幕の手前」(3節)には、「純金の燭台の上に」純粋なオリーブ油が注がれた「ともし火皿」が置かれていた(4節)。
「主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に命じて、オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持って来させ、常夜灯にともさせ、臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に備え付けさせなさい。アロンは主の御前に、夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともしておく。これは代々にわたってあなたたちの守るべき不変の定めである。アロンは主の御前に絶やすことなく火をともすために、純金の燭台の上にともし火皿を備え付ける」(1~4節)。
これは、主なる神の臨在を表す〈常夜灯〉である。大祭司アロンは、毎日「夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともし」続ける役目を負っていた。
荒野での「旅路にあるとき」、主なる神は「いつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見え」るようにして下さった(出エジプト記40章38節)。それは、主なる神が今もイスラエルの民と共にいて下さるという目に見えるしるしだった。
〈常夜灯〉のともし火も、同様に主なる神の臨在を示すものであった。それは、イスラエルの民が、約束の地に入った後も、荒野での旅路の時と同じように、主なる神は共にいて下さることを忘れずにいるためのしるしだった。
そして、今日是非覚えたいのは、大祭司アロンがこの務めを果たしていたということである。主なる神が、いついかなる時も神の民と共にいて、導き守り助けて下さる方であることを現し示す。それが、大祭司アロンの日々の務めであり、代々にわたって守られるべき不変の定めとされた。
私達も、そのような役目を果たす者でありたいと思う。この世界の全ての人に、主なる神が確かに私達と共におられ、愛と希望の光を注いで下さっていることを現す存在でありたいと思う。
どのようにしてか? それは、私達自身が、共にいて下さる主なる神の恵みと愛に包まれて喜び生きることによってではないか。
西原新生バプテスト教会
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