祈祷会奨励 2021年12月31日
ヘブライ人の手紙13章8節、ペトロの手紙一1章24~25節(新共同訳 新約p.419, 429)
「いつまでも変わらないもの」
新生讃美歌: 298「十字架の影に」、521「キリストには替えられません」
この世のものは移り変わり、過ぎ去って行く。形あるもの、目に見えるものはやがて過ぎ去り、消えて行く。また人は変わり、人の考えも変わる。更に、悲しいことに人の心も変わっていく。しかし、いつまでも変わらないものがある。それはイエス・キリストである。イエス・キリストは、世の全てのものが変わり、また過ぎ去っても、永遠に変わらない御方である。
1. 変わらない言葉
第一に、イエス・キリストの言葉は変わらない。聖書はこう言っている。
「主の言葉は永遠に変わることがない」(ペトロの手紙一1章25節)。
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタイによる福音書24章35節)
人間の言葉や約束は簡単に変わる。また、その主義主張も変わる。或る時代には、真理と思われたことも、今では間違いと言われることがよくある。しかし、イエス・キリストの言葉はそうではない。その教えと約束はいつまでも変わらない。だから、この移ろい易い世にあって、私達が何よりも信頼出来るのは、イエス・キリストの御言葉である。
2. 変わらない愛
第二に、イエス・キリストの愛も変わらない。聖書はこう言っている。
「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる」(イザヤ書54章10節)。
人間の愛は、条件付きだから相手によって変わっていく。しかし、イエス・キリストの愛は絶対的な愛だから、相手が誰であっても、また相手の態度がどうなっても、決して変わらない。イエス・キリストは十字架につけられた時、ご自分を磔にし、罵っている者をも愛してこう言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカによる福音書23章34節)。
自分の命を奪おうとしている者をも愛するイエス・キリストの愛は、いつまでも変わらない。
この世は無情なもの、非情とも言えるもので、私達のことなどすぐに忘れて、横を通り過ぎていく。しかし、イエス・キリストは、私達の罪のために十字架にかかって下さり、「わたしの慈しみはあなたから移らず」、「わたしがあなたを忘れることは決してない」と言われる(イザヤ書49章15節)。イエス・キリストに愛されていない人や覚えられていない人は一人もいない。イエス・キリストの愛は、永遠であり、全ての人に及んでいる。
3. 変わらない力
第三に、イエス・キリストの力も変わらない。聖書はこう言っている。
「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが/主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書40章28~31節)。
強大な権力と富を誇った王や王国も滅んでいった。しかし、イエス・キリストの力は少しも衰えない。それどころか、今もイエス・キリストを信じる多くの人や家庭を救い、変えられている。
それは、イエス・キリストが私達の罪を負って十字架で死に、私達を贖われただけでなく、三日目に甦り、私達のために「執り成し」をして下さっているからである。イエス・キリストは「永遠に生きている」御方である。聖書はこう言っている。
「しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」(ヘブライ人への手紙7章24~25節)。
私はイエス・キリストに出会うまでは、平安のない人生を送っていた。移ろい易いこの世のものを当てにして生きていたからである。
しかし、イエス・キリストに出会い、イエス・キリストを信じてから、いつまでもなくならない平安が心に与えられた。それは、イエス・キリストを信じてから私の心の深いところにずっとある、どんな時にもなくならない平安である。この移ろい易い世にあって、なくなることのない平安を心に持つためには、いつまでも変わることのないイエス・キリストを信じることが必要ではないか。