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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編106編

聖書日課 詩編106編(新共同訳 旧約pp.945-947)

 第105編と同様に、第106編も、神の民イスラエルの歴史を振り返りつつ、神の民が主なる神との関わりの中でどのように歩んできたかが語られている。特に第106編では、民の「罪」が記されており、主なる神が「罪」に陥った民をどのように取り扱われたかが述べられている。

「わたしたちは先祖と同じく罪を犯し/不正を行い、主に逆らった。わたしたちの先祖は、エジプトで/驚くべき御業に目覚めず/豊かな慈しみに心を留めず/海辺で、葦の海のほとりで反抗した。主は、御名のために彼らを救い/力強い御業を示された。葦の海は主に叱咤されて干上がり/彼らは荒れ野を行くように深い淵を通った。主は憎む者の手から彼らを救い/敵の手から贖われた」(6~10節)。

 振り返れば、神の民イスラエルの歴史は、最初から不信仰と不平不満の連続であった。「エジプト」であれほど「驚くべき御業」を体験していながら、「葦の海のほとり」で早くも主なる神に「反抗し」「荒れ野」に行けば、水がないと文句を言い、肉が食べたいと呟いた。

 しかし、その度に、主なる神は彼らの求めに応えられた。岩から水を出し、うずらの大群を送って肉を与え、40年もの間毎日マナを降らせて彼らを養い続けられた。ところが、

「彼らはたちまち御業を忘れ去り/神の計らいを待たず/荒れ野で欲望を燃やし/砂漠で神を試みた」(13~14節)。

「彼らは自分たちの行いによって汚れ/自分たちの業によって淫行に落ちた」(39節)。

 何と愚かなことだろう。しかも、主なる神はそのような彼らを何度も助け出そうとされたが、彼らはそれでも反抗を繰り返し、自分達の思うままに振る舞って罪を犯し続けた。そのため、遂に「主の怒り」「民に向かって燃え上がり」(40節)、荒れ野で彼らを打ち、「彼らを諸国の民の手に渡された」(41節)。しかし、

「主はなお、災いにある彼らを顧み/その叫びを聞き/彼らに対する契約を思い起こし/豊かな慈しみに従って思いなおし/彼らをとりこにしたすべての者が/彼らを憐れむように計らわれた」(44~46節)。

 実に、神の民とは、主なる神の憐れみと忍耐、「慈しみ」と愛によって導き、助け、守られている民である。そしてそれは今、救い主イエス・キリストを信じる私達自身でもある。

「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。あなたがたは、『かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている』のです」(ペトロの手紙一2章9~10節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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