ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編119編169~176節

聖書日課 詩編119編169~176節(新共同訳 旧約p.968)

 119編最後の段落は、主なる神の「御言葉」への「賛美」と導きと「救い」を求める「嘆願」の祈りをもって終わっている。

「(タウ)主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。御言葉をあるがままに理解させてください。わたしの嘆願が御前に達しますように。仰せのとおりにわたしを助け出してください。わたしの唇から賛美が溢れるでしょう/あなたが掟を教えてくださいますから。わたしの舌はあなたの仰せを歌うでしょう/あなたの戒めはことごとく正しいのですから。あなたの御手はわたしの助けとなるでしょう/あなたの命令を選び取ったのですから。主よ、御救いをわたしは望みます。あなたの律法はわたしの楽しみです。わたしの魂が命を得てあなたを賛美しますように。あなたの裁きがわたしを助けますように。わたしが小羊のように失われ、迷うとき/どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません」(169~176節)。

 そのような中、次の言葉に目が留まった。

「御言葉をあるがままに理解させてください」

 人間の偏見や自己中心な思いによって捻じ曲げられることなく、まっすぐに、「あるがままに」主なる神の「御言葉」「理解」し、受けとめることの大切さを思う。私達の願いや求めではなく、主なる神の御心こそ最善であり、最も素晴らしい道であると私達は信じるからである。それ故、詩人はこう告白する。

「あなたの御手はわたしの助けとなるでしょう/あなたの命令を選び取ったのですから」

 信仰は「選び取」ることでもある。主なる神の御言葉を最善と信じて選択すること、それが信仰である。それは主の御前に謙ることでもある。私達は、自分が迷い易い羊――主の御言葉によって守られ、導かれ、生かされることを切に求め続けることが必要な、弱く貧しい羊であることを覚えなければならない。

「わたしが小羊のように失われ、迷うとき/どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません」

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com