聖書日課 詩編119編169~176節(新共同訳 旧約p.968)
119編最後の段落は、主なる神の「御言葉」への「賛美」と導きと「救い」を求める「嘆願」の祈りをもって終わっている。
「(タウ)主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。御言葉をあるがままに理解させてください。わたしの嘆願が御前に達しますように。仰せのとおりにわたしを助け出してください。わたしの唇から賛美が溢れるでしょう/あなたが掟を教えてくださいますから。わたしの舌はあなたの仰せを歌うでしょう/あなたの戒めはことごとく正しいのですから。あなたの御手はわたしの助けとなるでしょう/あなたの命令を選び取ったのですから。主よ、御救いをわたしは望みます。あなたの律法はわたしの楽しみです。わたしの魂が命を得てあなたを賛美しますように。あなたの裁きがわたしを助けますように。わたしが小羊のように失われ、迷うとき/どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません」(169~176節)。
そのような中、次の言葉に目が留まった。
「御言葉をあるがままに理解させてください」。
人間の偏見や自己中心な思いによって捻じ曲げられることなく、まっすぐに、「あるがままに」主なる神の「御言葉」を「理解」し、受けとめることの大切さを思う。私達の願いや求めではなく、主なる神の御心こそ最善であり、最も素晴らしい道であると私達は信じるからである。それ故、詩人はこう告白する。
「あなたの御手はわたしの助けとなるでしょう/あなたの命令を選び取ったのですから」。
信仰は「選び取」ることでもある。主なる神の御言葉を最善と信じて選択すること、それが信仰である。それは主の御前に謙ることでもある。私達は、自分が迷い易い羊――主の御言葉によって守られ、導かれ、生かされることを切に求め続けることが必要な、弱く貧しい羊であることを覚えなければならない。
「わたしが小羊のように失われ、迷うとき/どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません」。
西原新生バプテスト教会
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