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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 ヨハネの手紙一2章

聖書日課 ヨハネの手紙一2章(新共同訳 新約pp.441-443)

 私達は、掟とか戒めと聞くと、窮屈で自由を奪うもののように受けとめてしまう。そのため、「旧約聖書は、掟や戒めが沢山あるので、とっつき難いけれども、新約聖書は愛を説いているので旧約よりも良い」と言う人もいる。

 しかし、聖書の掟と戒めは、私達が主なる神の御心に適う、正しく健やかな生き方をするために与えられている。自然には自然の法則というものがある。例えば金魚は水の中で生きるのが自然であり、「もっと自由になりたい」と金魚鉢から出てしまったら、泳ぐことも呼吸することも出来ず、すぐに死んでしまうだろう。

 同じように、私達人間にも守るべきルールがあり、それが守られることによって、私達は正しく健やかに生きることが出来る。そのために、主なる神は、人間に掟や戒めを与えられた。つまり、掟も戒めも、主なる神が私達を愛して下さっていることの証拠であり、私達を誤った道に行かせないという主なる神のご配慮から与えられたものである。

 そして、私達がそのような御方として主なる神を知るならば、主なる神が与えて下さった掟や戒めも喜んで受けとめ守るようになる。もしそうでないなら、それは主なる神を誤解しており、本当に知っているとは言えない。この点に関して、ヨハネは次のように述べている。

「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。『神を知っている』と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません」(3~6節)。

 或る神学者が著書の中で次のようなことを書いている。「クリスチャンの倫理は、キリストにならうことであり、そのため、私たちを律法から逃れさせるのではなくて、逆に律法の要求を尊重します。私たちは、ご自分を低くし、従順になられたイエス・キリストのうちに見られた態度を自分自身のうちに持たねばなりません(ピリピ二・5、8)。また、キリストが歩まれた正しい行いの足跡にならい(Iペテロ二・21)、義を示さなければなりません。なぜなら、聖霊が私たちをキリストに結びつけてくださるからです(Iコリント六・15-20)。ですから、聖書に忠実な倫理とは、キリストが神の律法に従われた模範にならうという意味の『クリスチャン倫理』です」。

「神の掟」には、私達がそれを守ることによって、主なる神との関係を保っていくことが出来るという目的がある。人間には、「神の掟」に従うか、従わないかを選ぶ自由が与えられている。しかし、私達は、選んだ結果を選ぶことは出来ない。真の自由は、私達を幸せにし、希望をもって、正しく健やかに生きるようにさせてくれる。そういう自由の中に、私達は今生きているだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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