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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 出エジプト記22章

聖書日課 出エジプト記22章(新共同訳 旧約pp.129-131)

 22章にも様々な律法が記されている。これらは、隣人に損害を与えた時には「償わねばならない」と要約することが出来る。

「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない。彼は必ず償わなければならない。もし、彼が何も持っていない場合は、その盗みの代償として身売りせねばならない。もし、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗まれたものが生きたままで彼の手もとに見つかった場合は、二倍にして償わねばならない」(21章37節~22章3節)。

 或る意味で当然と言えることばかりである。しかし、そういう当然のことが出来ない、或いは、やろうとしないからこそ、主なる神はこのような戒めを与えられた。

 当たり前のことを、当たり前のこととして、きちんと受けとめて行う、そういう考えが行き渡っている社会であれば、どんなに住み易く、安心して生きることが出来るだろう。しかし、現代社会は、当たり前のことが当たり前でなくなってしまった社会、基準を失ってしまった社会である。

 あなたは人生の基準を持っているだろうか? 「そんなものない、いや要らない」という方もいるかも知れない。しかし、「何でもありで、どうでもいいか」と問われれば、そのようなことは有り得ない。私達は、誰でも何らかの基準を持って生きている。だから、大切なのは、何を基準として生きているかである。

 自分を基準として生きている人がいる。人を基準にして生きている人もいる。しかし、聖書は、主なる神の教えを基準として生きるように教えている。

 聖書はそのために与えられている。だが、私達は聖書をどれくらい知っているだろうか。また、学ぼうとしているだろうか。聖書は、一度読めばそれで全てが分かるというものではない。何度も何度も繰り返し読み、学び、味わっていくべきものである。聖書が次のように言っている通りである。

「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」(テモテへの手紙二3章15~17節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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