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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 創世記3章

聖書日課 創世記3章(新共同訳 旧約pp.3-5)

 3章には人間の罪の起源が記されている。それは、主なる神が「決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2章17節)と警告した木の実を取って食べたことから始まった。

「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた」(6節)。

 つまり、主なる神の戒めを破り、主なる神ではなく、自分を中心に人生を生きること、それが罪の本質であると聖書は教えている。

 では、その結果どういうことになっただろうか。

「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」(7節)。

 罪に陥ったアダムとエバが最初にしたことは、自分を隠すことだった。彼らは、自分を恥ずかしい存在と思うようになったのである。そして、主なる神がエデンの「園の中を歩く音が聞こえ」ると、彼らは「園の木の間に隠れ」てしまった(8節)。彼らは主なる神を恐ろしい存在と思うようになり、主なる神に対して安心して自分を開き委ねることが出来ず、隠れるようになってしまったのである。主なる神との交わりの断絶、ここに人間の死の本質がある。

 この時、主なる神はアダムに尋ねた。

「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」(11節)。

 するとアダムは「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と答えた(12節)。

 主なる神がアダムのあばら骨から女を造り、彼の前に連れて来られた時、アダムは「これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉」歓喜した(2章23節)。ところが、罪に陥った途端に、アダムは自分の罪を女のせいにした。一方、女は女で、自分の罪を蛇のせいにしている(13節)。罪人は自分の罪の責任を転嫁する。しかし、そこで真の平安と喜びが湧き上がることは決してない。

 自分を恥じて隠し、主なる神を恐怖し、自分の不幸をいつも誰かのせいにしてしまう。これらは、誰にとっても身に覚えのないことではないだろう。その意味で、確かに私達は皆、罪の中に生きている。

 しかし、ここに良い知らせがある! 主なる神は、罪と滅びの中にある私達を救い出すために独り子イエス・キリストをお与えになり、十字架によって悪魔と罪の支配から私達を解放して下さった。このイエス・キリストに信頼して、罪を悔い改め、イエス・キリストを心と人生に迎え入れるなら、私達は罪に振り回される人生から解放され、永遠に主なる神の愛と恵みの中に生きる者とされる。あなたは今、この福音をご自分のものとしておられるだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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