聖書日課 ヘブライ人への手紙7章(新共同訳 新約pp.407-409)
私達は孤独を感じる時がある。周りに人はいるけれども、誰も自分の味方となり、庇ってくれない。特に、弱さの中で立ち上がれない時、過ちを犯してしまった時、人が遠くに感じられる。
そのような私達に聖書は語りかける。
「しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです」(24~26節)。
私達の存在を根底から支えて下さっている方がいる。私達のために執り成しをして下さる方がいる。この方こそイエス・キリストである。
イエス・キリストは、十字架で「ただ一度、御自身を献げることによって」(27節)、私達が犯した罪と過ちを全て償って下さった。そして、「死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができ」ない他の「多くの人たち」とは違い(23節)、この方は甦って「永遠に生きているので」、今も私達を弁護し、庇って下さっている。
私達は独りではない。「永遠に完全な者とされている御子」イエス・キリストが「大祭司」として私達を庇い、弁護し、私達の味方となって下さっている(28節)。私達がこの方を見上げる時、悪魔がどんなに私達を責め立てても、この方が悪魔の口を封じ、悪魔を打ち砕いて下さる。
孤独を感じる時、イエス・キリストの御名を呼ぼう。イエス・キリストは、必ず私達に答えて下さる。そして、イエス・キリストに助けられた者の交わり(教会)の中に入るならば、私達は独りではないということを、体験的に知ることが出来る。
西原新生バプテスト教会
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