ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

祈祷会奨励 2021年7月30日

祈祷会奨励 2021年7月30日
詩編55編1~24節(新共同訳 旧約pp.887-889)
「あなたの重荷を主にゆだねよ」

讃美歌
 191(いともとうとき 主はくだりて)
 312(いつくしみ深き 友なるイエスは)
新生讃美歌
 520(人生の海のあらしに)
 521(キリストには替えられません)

「あなたの重荷を主にゆだねよ/主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え/とこしえに動揺しないように計らってくださる」(23節)。

 私達の人生には重荷がある。時には逃げ出したくなるような試練に遭うこともある。この詩の作ったダビデは、敵に囲まれ(4節)、「楽しく親しく交わ」った友に裏切られ(14~15節)、「悩み」「不安」(3節)、「恐れとわななき」(6節)、悲しみと失望の中にあった。
 しかし、重荷を主に委ねた時、平安が与えられた(19節)。そこで彼は「あなたの重荷を主にゆだねよ」と勧めた。主に委ねるとは、心の内にあることを全て主なる神に告白し、主なる神に任せることである。何故私達は自分の重荷を主に委ねるべきだろうか。

1. 主なる神が支えて下さるから

 主なる神が私達を支えて下さるというのは、主なる神が恵み深い方であられることをよく表している。イエス・キリストは言われた。
「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(ルカによる福音書12章6~7節)。
 聖書は、主なる神が私達を心にかけて下さっていると教えている。ダビデ「夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる」(18節)と述べている。それ故、「あなたの重荷を主にゆだねよ」ダビデは勧める。

2. 主なる神が担って下さるから

 主なる神は私達の重荷を担って下さっている。主なる神は、イスラエルの民を、エジプトから荒れ野を通ってカナンに入るまでの全道中、守り、導き、養われた。
「また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た」(申命記1章31節)。
 私達は、イエス・キリストを主と信じる前は、重荷を自分で負わなければならなかった。しかし、イエス・キリストを信じた後は、イエス・キリストが私達の内に住まわれ、私達の重荷を負って下さっている。私達は主と一つにされた。だから、私達が苦しみの中にある時、主も共に苦しんで下さる。
「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった」(イザヤ書63章9節)。
 そして、主なる神は生涯を通じて私達を背負い続けて下さる。
「同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ書46章4節)。

3. 主なる神が計らって下さるから

 イエス・キリストは、私達の罪の重荷を負って、十字架で死なれた。そして、復活し、昇天された今も、私達のために執り成しをして下さっている。だから、私達が苦しみを経験するのは、主なる神の御業が現れるため、主なる神が素晴らしいことをして下さるためである。
 詩人・画家の星野富弘氏は、元々中学校の体育の教師だった。しかし、クラブ活動の指導中、事故で頸髄を損傷し、手足の自由を失った。入院中、一人のキリスト者が、「この怪我には意味がある」と言って、聖書を置いていった。星野氏は、聖書を読んで救われ、折角怪我をしたのだからと、口に筆をくわえて詩と絵を描くようになった。もし私達が今苦しみの中にあるなら、その苦しみには意味がある。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマの信徒への手紙8章28節)。

まとめ

 私達の人生には、病気、仕事、家族の問題など様々な重荷がある。特に今は新型コロナウィルス感染症の問題で大変である。しかし、主なる神は私達に無駄な重荷を負わせることは決してなさらない。重荷は、主なる神がご計画の内に私達に与えられたものである。しかも、主は私達を心配して下さり、私達の重荷を共に担って下さり、それを益として下さる。だから、重荷を主に委ねよう。