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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ローマの信徒への手紙5章

聖書日課 ローマの信徒への手紙5章(新共同訳 新約pp.279-280)

 イエス・キリストを信じる「信仰によって義とされ」るというのは、単に罪が赦されるということだけに終わるものではない。そのことによって、私達は「神との間に平和を得て」いる(1節)。つまり、主なる神との交わりの中に生きる者とされた。これが聖書の教える祝福の本質である。

 主なる神との交わりという祝福の中に生きる私達は、更に「神の栄光にあずかる希望」(2節)を持って生きる者となる。つまり、私達は、主なる神の愛と清さと力と尊厳を表す者とされる

 しかしそれは、キリスト者には苦しみも悲しみも全くなくなってしまうということではない。苦難の中でも、なお希望を抱いて生きることが出来る者とされるということである。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」(3~5節)。

 何故そのようなことが可能なのだろうか。それは「神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」パウロは言う。そして、こう続けている。

「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(6~8節)。

 弱い者、不信心な者、罪人、そして神の「敵であった」(10節)者のためにさえ、死んで下さるほどの愛、それが、イエス・キリストが私達に対して示された愛である。そうであるとすれば、あなたが今、どんなに駄目で弱くても、どんなに愚かで罪深くとも、イエス・キリストは、それでもなお、あなたを命懸けで愛して下さっているに違いない。だからこそ、イエス・キリストを信じる者は、苦難の中でも、なお忍耐し、希望を失わずに進み続けることが出来る。このイエス・キリストの愛の中に、しっかりと留まり続けたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
https://nschrist1972.hatenablog.com/
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