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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ローマの信徒への手紙6章

聖書日課 ローマの信徒への手紙6章(新共同訳 新約pp.280-282)

 本章では、「罪に対して死んだ」キリスト者「罪の中にとどまるべき」でないことを示すために(1~2節)、バプテスマの意味と〈義の奴隷〉ということについて教えられている。

 バプテスマは、十字架で死に、3日目に「御父の栄光によって死者の中から復活させられた」「キリスト・イエスと結ばれるため」の儀式である(3節、4節)。即ち、イエス・キリストが私達の罪を背負って十字架にかかられたのだから、罪ある「わたしたちの古い自分」(6節)もまた、十字架の上で「キリストと共に死んだ」(8節)者であること、そして、イエス・キリストが死を打ち破って復活したように、私達も「キリストと共に」「新しい命に生きる」者とされていることを意味する儀式、それがバプテスマである(4節、8節)。

 パウロは、「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」(11節)と言った。私達は、この点で問題があるのではないか。即ち、パウロが言ったようには、本気で考えていない、「なったらいいなぁ」とか「本当にそんなことあるだろうか」と、寧ろ疑っているようなことがないだろうか。そして、私達のキリスト者としての意識変革が不十分かつ不徹底、不確実であるために、私達は相変わらず罪を犯し続けてしまう

パウロは、本章の後半で、キリスト者「義の奴隷」(19節)であり、「神の奴隷」(22節)であることを教え、次のように言っている。

「あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です」(20~22節)。

 私達は、自分が「義の奴隷」「神の奴隷」であることを本気で信じているだろうか。また、「罪の奴隷」であった自分は、十字架のイエス・キリストと共に死に、今は「義の奴隷」として「永遠の命」の中に生かされているという明確な意識を持って生きているだろうか。もしそうでないとすれば、私達は、相変わらず罪の力に支配されてしまっている。最初期の教会の人々は、聖霊に満たされ」(使徒言行録2章4節)、御言葉と祈りの交わりに熱心に励むことによって、そのような意識を深め強めていた。私達も、そのような真実の交わりの中で、互いに励まし合い、支え合っていくことが必要である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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