聖書日課 ルカによる福音書12章(新共同訳 新約pp.131-134)
私達は、いつも何かを恐れながら生きているのではないか。アダムとエバが善悪の知識の木の果実を取って食べた時から、人は人の目を恐れて自分を隠し、また主なる神の目を恐れて隠れるようになった(創世記3章)。
だからこそ、聖書には、旧約でも新約でも、恐れについての教えが実に沢山書かれている。一説によると、「恐れるな!」という励ましが、365回出てくる。それは、私達が1年中、毎日毎日「恐れるな!」という励ましを必要としているからに違いない。
イエス・キリストも、弟子達に、何度も「恐れるな!」と語られた。
「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」(4節)。
これは、人を恐れてはならないということである。また、目に見えるものを恐れてはならないという意味でもある。
私達は日頃、他人の目を恐れたり、目に見える状況や問題を恐れて、不安に陥ったり慌ててふためくことが何と多いことだろう。それは、本当に恐るべき方を私達が知らないからである、とイエス・キリストは言われた。
「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい」(5節)。
これは、限りある地上の命と人生だけに縛られてしまうのではなく、永遠の命と天の御国に視野を広げて生きよということである。そして、私達の目を、目に見える地上のものから離し、目に見えない天の父なる神に向け、信頼を寄せて生きよということである。
何故なら、父なる神は、私達一人一人の髪の毛までも一本残らず数えておられるほど、私達を深く愛し、全てを知っておられる方だからである。それ故、私達が真に恐るべき方を知るなら、真の平安と生きる勇気が湧き上がる。
「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(6~7節)。