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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記11章

聖書日課 ヨシュア記11章(新共同訳 旧約pp.356-358)

「アモリ人の五人の王」による連合軍に勝利したイスラエルは(10章5節)、更に大きな連合軍と戦うことになった。「ハゾルのハツォルの王ヤビン」らによる連合軍である(1節)。「浜辺の砂の数ほどの大軍」と表現されている(4節)。

 ここでも、主なる神の御言葉は同じである。

「彼らを恐れてはならない」(6節)。

 私達が恐れるのは何故だろうか。それは、目に見える世界〈だけ〉を見ているからである。

 弟子のペトロは、「来なさい」と言われたイエス・キリストの御言葉を信じて「水の上を歩き」出した。しかし彼は、「強い風に気がついて怖くなり、沈みかけた」(マタイによる福音書14章29~30節)。

 目に見える世界だけを見ていると、私達には不安と恐れが来る。そして、不安と恐れの海に溺れてしまう。私達が見るべきは、イエス・キリストであり、主イエス・キリストの御言葉である。

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(コリントの信徒への手紙二4章18節)。

 主なる神は目に見えない。主なる神の御言葉も見えない。しかし、それは永遠であり、確かな拠り所である。

「浜辺の砂」のような大軍を見て恐れない者はいない。その恐れを越えることの出来る勇気は、「恐れてはならない」「あなたと共にいる」と言われる主なる神の御言葉から来る。

 また、私達は命を失うことを恐れる。それは、目に見える肉体の命だけを見ているからである。目に見える肉体の命は永遠ではない。しかし、私達の内にある霊的な命は永遠である。

 目に見える肉体の命〈だけ〉を見ている人には恐れが来る。しかし、主は言われた。

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイによる福音書10章28節)。

 目に見えないが、私達の霊をお救い下さる主なる神こそ、本当に畏れるべき方である。

 さて、主なる神は、この大軍と戦って勝利した後、「彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え」ヨシュアに命じられた(6節)。当時の戦いにおいて、「馬」と、馬に引かせて走る「戦車」は強力な武器であった。

 荒れ野の民族であったイスラエルにとって、戦利品である「馬」「戦車」は魅力的であったに違いない。しかし、主なる神はそれを「焼き払え」と命じられた。そして、ヨシュアは、彼らに対して主の告げたとおりにし」た(9節)。

 ヨシュアがそのようにしたのは、イスラエルが目に見える「馬」「戦車」を手にしたら、主なる神よりも、それらを信頼するようになるからである。「見えるもの」を恐れる人は、見える何かを得ようとする。

 しかし、私達が真に頼るべきは主なる神だけである。目に見える「馬」「戦車」に頼り始めると、「馬」「戦車」の数で恐れたり、逆に慢心するようになる。ダビデの告白を私達の信仰告白としよう。

「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える」(詩編20編8節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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