ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マルコによる福音書13章

聖書日課 マルコによる福音書13章(新共同訳 新約pp.88-90)

 イエス・キリストの時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王が修築したもので、豪華で広大であった。尤も、それは決してヘロデ自身の信仰によるものではなく、彼は、そうすることでユダヤ人の歓心を買おうとしたと言われている。

 しかし、そのような目に見えない心の思いよりも、人は、目に見える豪華さや広大さに心を奪われる。イエス・キリストが神殿の境内を出て行かれる時、弟子の一人が、豪華絢爛な神殿に魅せられて、「なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と思わず感嘆の声を挙げた(1節)。

 だが、この時イエス・キリストは次のように言われた。

「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(2節)。

 地上のものはいつか必ず消え去る時が来る。イエス・キリストが言われた通り、この神殿は、それから数十年後、ローマ軍によって破壊されてしまった。しかし、この時イエス・キリストは神殿の崩壊のことだけを言ったのではない。イエス・キリストはここで、この世に終わりが来ることを教えられた。

 この世には終わりの時がある。そのことを当時どれだけの人が本気で信じていただろうか。イエス・キリストの弟子ですら、そのようなことよりも、目の前にある建物の豪華さに心を奪われていた。ましてや、多くの人々は、目に見えるものに捕らわれたまま、目には見えない主なる神に心を向けることはなかった。

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(31節)。

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである」(32~33節)。

 今日私達は、何に目を向け、どのようなもので心を満たしているだろうか。やがて必ず滅び去るこの世のものではなく、決して滅びることのない主イエス・キリストの言葉に目を向け、耳を傾け、心を満たしながら生きていく者でありたい。

「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13節)。