ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マルコによる福音書12章

聖書日課 マルコによる福音書12章(新共同訳 新約pp.85-88)

 エルサレム神殿の「美しい門」と呼ばれる門を入った所に、13個の賽銭箱が置かれていた。この賽銭箱は、入口がラッパのような形をしており、周りにいる人々からも、献金の様子がよく見えるようになっていた。

 この時イエス・キリストも、弟子達と共に、人々が献金する様子を見ておられた。大勢の金持ちが、堂々と、これ見よがしに大金を献げていた(41節)。その度に、周りから驚きと賞賛の声があがったに違いない。

 すると、そこに一人の貧しいやもめがやって来た。その時彼女は、伏目がちに、そっとレプトン銅貨2枚を献げた(42節)。それは日本の通貨で言えば、1円玉2枚と同じような小さな金額だった。勿論、声などあがるわけがない。それどころか、人々から、無言の冷たい軽蔑の眼差しが向けられていたに違いない。

 だからこそ、イエス・キリストは、わざわざ弟子達を呼び寄せてこう言われた。

「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」(43~44節)。

 人々は、目に見える金額を見て、驚いたり賞賛したりしていた。しかし、イエス・キリストは、献げる人々の心を御覧になっていた。「自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」この女性は、主なる神への感謝と信頼と献身の心を持っていた。そういう心が込められたものであるからこそ、イエス・キリストはこの女性が「だれよりもたくさん入れた」と言われた。

 献金は、金額の大きさではかることは出来ない。どれだけ心が込められているか、それが献金において最も大切なことである。私達が本当に献げるべきものは、お金ではなく心、いや心も体も含む、私達の全てである。それが献金の本質であり、真の礼拝である。