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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書43章

聖書日課 エゼキエル書43章(新共同訳 旧約pp.1367-1369)

「神殿」は単なる建物ではない。神殿が神殿である所以は、そこに主なる神がいまし、「主の栄光」が満ちているかどうかにある。たとえどんなに荘厳な建物であっても、どんなに多くの人がいたとしても、そこに「主の栄光」が満ちていなければ神殿ではない。

「主の栄光は、東の方に向いている門から神殿の中に入った。霊はわたしを引き上げ、内庭に導いた。見よ、主の栄光が神殿を満たしていた」(4~5節)。

 これは現在の教会でも同じである。教会は、建物ではなく、主イエス・キリストを信じて救われた者の交わりである。そして、その交わりの中に「主の栄光」が満ちているところ、それがキリストの体である真の教会の姿である。

 建物の立派さや大きさは関係ない。人の多さや少なさということとも違う。どんなに人が沢山いても、そこに「主の栄光」が満ちていなければ、単なる人の集いでしかない。また、どんなに人が少なくても、そこに「主の栄光」が満ち溢れるなら、それが真の教会である。では、何がその違いを生み出すのだろうか。

 かつてモーセが幕屋を建てた時、「主の栄光が幕屋に満ちた」ために、モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった」と記されている(出エジプト記40章34~35節)。それは、主なる神が命じられた通りに、彼らが幕屋を建設したからである。

 同様に、教会は人間の思いや考えによって築かれるものではなく、主なる神の御心によって建てられるものである。私達が主なる神の導きを求め、主なる神の御教えに従って生きる時、教会の交わりの中に「主の栄光」が満ち溢れる。

 使徒言行録に記されているように、教会は、人々に聖霊が注がれることによって誕生し、聖霊の導きに従った人々によって建て上げられていった。イエス・キリストの弟子達の信仰と従順があったので、そこに「主の栄光」が満ち溢れた。主の御声に聴き従うこと、そこに「主の栄光」が現される。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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