聖書日課 ヨハネによる福音書5章(新共同訳 新約pp.171-174)
いつ水が動くか分からない池のほとりで、じっとその瞬間を待ち続ける大勢の病人達…(3~4節)。或る意味で、それは時代と社会の縮図とも言える場所だった。
このベトザタの池は、「羊の門の傍らに」あったと記されている(2節)。つまり、そのすぐ傍には、優雅で豪華絢爛なエルサレムの神殿がそびえていた。そして、そこには毎日大勢の人々が集っていた。多くの献げ物がささげられ、祭司達によって厳かな儀式が執り行われていた。
しかし、その人々がベトザタの池の周りにいる病人達の所に来ることは殆どなかった。それどころか、祭司達でさえ、毎日その傍で奉仕していたにもかかわらず、彼らに手を差し伸べることはなかった。ベトザタの池の人々は、忘れられ、追いやられていたのである。
ところが、イエス・キリストは、その場所に行かれた。そして、38年も病気で苦しんでいる人が、横たわっているのを見、また長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と声をかけられ(5~6節)、彼の病を癒された(8~9節)。
この世の何に目を留め、どのような人々と共にいるか、その点に関してイエス・キリストと他のユダヤ人は、全く違っていた。人々は、病や痛みや貧しさを出来るだけ見ないようにして暮らしていた。しかし、イエス・キリストは、病人に手を差し伸べ、自ら痛みと貧しさを背負われた。
そして、その最終到達点が十字架の死であった。それによって、病を癒し、痛みを消し去り、貧しさを豊かさに変えるために、イエス・キリストは自ら十字架の上に命を献げて下さった。
だから、もし今あなたが、病み、痛み、貧しさの中におられるなら、どうか忘れないでいただきたい。あなたの身代わりに十字架に死んで下さった救い主イエス・キリストが、あなたと共に、あなたの傍らにおられることを!
西原新生バプテスト教会
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