ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ゼカリヤ書10章

聖書日課 ゼカリヤ書10章(新共同訳 旧約pp.1490-1491)

 情報化社会と言われる現代、私達の周りには、とても把握しきれない多くの情報が毎日飛び交っている。その中には、私達に幸せをもたらすかのようなコマーシャルや宣伝文句が溢れている。しかし、それで人々が実際に幸福になっているかというと、反対に暗く空しい雰囲気が漂う時代になってしまっているのではないか。

「テラフィムは空虚なことを語り/占い師は偽りを幻に見、虚偽の夢を語る。その慰めは空しい。それゆえ、人々は羊のようにさまよい/羊飼いがいないので苦しむ」(2節)。これは今から数千年も昔に語られた主の言葉だが、21世紀を生きる私達の現実でもある。

 しかし、聖書はそのような私達に向かってこう語りかけている。

「春の雨の季節には、主に雨を求めよ。主は稲妻を放ち、彼らに豊かな雨を降らせ/すべての人に野の草を与えられる」(1節)

 主なる神は、何千年も昔から、この単刀直入なメッセージを私達に語りかけ、私達の必要の一つ一つを備えようとしておられる。そして、主なる神はこう宣言される。

「わたしはユダの家に力を与え/ヨセフの家を救う。…わたしは彼らの神なる主であり/彼らの祈りに答えるからだ。エフライムは勇士のようになり/ぶどう酒を飲んだように、心は喜びに溢れる。その子らも見て喜び、心は主にあって躍る」(6~7節)

「わたしは主にあって彼らに力を与える。彼らは御名において歩み続けると/主は言われる」(12節)

 私達にとって大切なことは、主なる神に対する素直な信頼と従順な心である。今、主に祝福の雨を求めて祈ろう。そして、主によって力づけられ、喜び踊る者としていただこう。