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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 創世記11章

聖書日課 創世記11章(新共同訳 旧約pp.13-15)

 11章にはバベルの塔の物語が記されている。

 ノアの時代の洪水は、主なる神が人間の罪と悪を裁くために起こされた出来事だった。しかし、洪水後も、人間は相変わらず罪にまみれ、主なる神に反逆して生きていた。そのような或る日、シンアルの平野に住み着いた人々が言った。

「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(4節)。

 これは、人々が結束して主なる神に対抗し、自己高揚を謀ったことを意味している。

 ノアの時代の洪水にもかかわらず、主なる神は、なお罪ある人間を憐れみ、二度と洪水によって人々を滅ぼすことはしないと約束された。そういう主なる神の憐れみと忍耐の故に、人間はなお生かされ支えられていた。

 ところが、そのようなことは全く知らないかのように、人々は、自分の知恵と力を誇り、「天まで届く塔のある町を建て」て主なる神に対抗しようとした。ここに人間の高慢と自己高揚の罪がある。勿論、高い塔を建てることが罪だというのではない。そういう知恵と力を与えて下さった主なる神に感謝し、主なる神をほめたたえることをせずに、自己を誇り、自己の力で生きているかのように思い上がっていたことに罪がある。

 そもそも、「天まで届く塔」を建てることなど、到底不可能だった。主なる神の目から見たら、彼らが建てた塔など、ちっぽけな腰掛程度のものだったに違いない。それを「天まで届く塔」などと言うところに、人間の愚かさが表れていた。

 この時、主なる神はこう言われた。

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(6~7節)。

「彼らが何を企てても、妨げることはできない」とは、人間の知恵がそれほどに成長するということではなく、主なる神に反抗する人々の心がそれほどまでに頑なになってしまい、遂に人類が滅び去ってしまうことを懸念した言葉であろうと思われる。こうして人間の言葉は混乱し、人々は全地に散らされることになってしまった。

 バベルの塔の物語は、人間の傲慢と愚かさへの警告である。それは時を越えて、現代の人類に対するメッセージでもある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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