ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ルツ記3章

聖書日課 ルツ記3章(新共同訳 旧約pp.424-426)

 ナオミは、ずっとルツが「幸せになる」ことを願っていた。そして、ルツとボアズの出会いが、ナオミに幸せな未来のヴィジョンを思い描かせるきっかけを与えた。そのヴィジョンとは、ルツとボアズの結婚である。

 ボアズはルツに好意を示していた。ルツもボアズに深い信頼と尊敬の思いを抱いていた。しかも、ボアズは「家を絶やさぬ責任のある人間」だった(12節)。これは、彼が、ナオミの夫エリメレク一家の土地と血筋を回復する立場にある親類であったという意味である(レビ記25章23節以下)。

 これ以上の〈良縁〉は思いつきようがない。ただ一つ問題なのは、ボアズとルツの年齢差である。はっきり書かれているわけではないが、恐らくボアズは、既に年配の域に達していたと思われる。そのため、ボアズからルツに求婚することは、彼の性格からしても難しいことであった。ナオミがルツに求婚の手立てを指南したのも、恐らく、そのような事情を考慮した上での〈作戦〉だったのではないか。

「しゅうとめのナオミが言った。『わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。あなたが一緒に働いてきた女たちの雇い主ボアズはわたしたちの親戚です。あの人は今晩、麦打ち場で大麦をふるい分けるそうです。体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って麦打ち場に下って行きなさい。ただあの人が食事を済ませ、飲み終わるまでは気づかれないようにしなさい。あの人が休むとき、その場所を見届けておいて、後でそばへ行き、あの人の衣の裾で身を覆って横になりなさい。その後すべきことは、あの人が教えてくれるでしょう』」(1~4節)。

 この時、ルツは、素直に、そして積極的にナオミの提案を実行した。

「ルツは、『言われるとおりにいたします』と言い、麦打ち場に下って行き、しゅうとめに命じられたとおりにした」(5~6節)。

 すると、ボアズはルツに言った。

「わたしの娘よ。どうかあなたに主の祝福があるように。あなたは、若者なら、富のあるなしにかかわらず追いかけるというようなことをしなかった。今あなたが示した真心は、今までの真心よりまさっています。わたしの娘よ、心配しなくていい。きっと、あなたが言うとおりにします」(10~11節)。

 作戦は大成功! ボアズは、ルツの求愛を喜んで受け入れた! しかし、ボアズは、一時の感情に溺れるタイプの人物ではなかった。彼は、ナオミへの土産の大麦をルツに持たせて、夜明け前にルツを帰した。帰宅したルツから報告を聞いたナオミは言った。

「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう」(18節)。

 信じて、なすべきことをなした後は、全てを主なる神に委ねて待つのみ! 次章は、いよいよ物語のクライマックスである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 ルツ記2章

聖書日課 ルツ記2章(新共同訳 旧約pp.422-424)

『落ち穂拾い』というミレーの有名な絵画がある。これは律法の教えに基づくイスラエルの慣行で、収穫の際に落ちた穂や畑に置き忘れた束は、やもめや身寄りのない子供や外国人など、貧しい人々のためのものとして、拾ったり取りに帰ったりしてはいけなかった(レビ記19章9~10節)。

 とはいえ、気持ち良くそうさせてくれる人達ばかりがいたわけではない。落ち穂を拾う人々は、やはり肩身の狭い思いをしていたに違いない。しかし、一家の大黒柱を失い、10年ぶりに故郷に帰ってきたナオミとルツにとっては、この慣行に頼る以外に食べていく術はなかった。

「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。モアブの女ルツがナオミに、『畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます』と言うと、ナオミは、『わたしの娘よ、行っておいで』と言った。ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった」(1~3節)。

 ところが、若いルツは、自ら率先して落ち穂拾いに出かけていく決心をした。「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」という彼女の言葉には、主なる神への信頼、謙遜な心、そして可能性を信じて生きようとする強い思いが込められていたように思われる。

 そして、主なる神は、そういう信頼の心に必ず応えて下さる御方である。ルツが落ち穂を拾った畑が「たまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった」というのは、決して単なる偶然とは思えない。私達の「天の父」は、信じて「求める者に良い物をくださる」御方である(マタイによる福音書7章11節)。

 この時、ボアズはルツに言った。

「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」(11~12節)。

 このボアズの言葉は、父なる神の心を表していると言っても間違いないように思われる。つまり、主なる神はルツの信仰と従順をご存知であった。そして、その信仰に豊かに報いて下さった。勿論、ルツも、ボアズの厚意に感謝をもって応えた。

「ルツはこうして、大麦と小麦の刈り入れが終わるまで、ボアズのところで働く女たちから離れることなく落ち穂を拾った」(23節)。

 彼女は、信頼すべき方と自分の居るべき場所を弁えて、そこにしっかり留まった人だった。私達もそこに留まりたいと思う。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 ルツ記1章

聖書日課 ルツ記1章(新共同訳 旧約pp.421-422)

「ルツ記が好き」というキリスト者は多い。それもそのはず、ルツ記は、ハッピー・エンドの物語であり、しかも、純粋で、謙遜で、確かな信仰者の物語でもある。だから、読み終わると清々しい気分になれる。

 前書の士師記とは随分雰囲気が違う。しかし、実はルツ記は、士師記と同時代の出来事を記した書である。同じ時代を記しているのに、全く違う雰囲気の2つの書が並んでいる。それは主なる神の深い配慮によるのではないか。つまり、どんなに暗い時代でも、主なる神に信頼し、主なる神と共に歩む、祝福に満たされる人生が可能だというメッセージが込められているのではないか。

 ルツは、「モアブの女」、つまり異教徒だった。彼女は、「ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ」一家の嫁となった。ところが、「十年ほどそこに暮らした」間に、まず一家の主人「エリメレク」が死に、ついで、その「二人の息子」も次々と死んでしまった!

「士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された」(1~5節)。

 後に残された母「ナオミ」は、故郷のベツレヘムに帰ろうと決心した。ナオミは、若い「二人の嫁」に、実家に帰り、再婚して幸せになるよう勧めた(8~9節)。しかし、ルツだけは、どうしてもナオミと共に付いて行きたいと申し出たので、ナオミはルツと「二人」「旅を続け」ベツレヘムに帰って来た(19節)。

 この時、ルツはナオミに言った。

「わたしは、あなたの行かれる所に行き/お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民/あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に/そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください」(16~17節)。

 これは、ルツの信仰告白でもあった。ルツはエリメレク一家の嫁となることを通して、主なる神への深い信仰を持つようになっていった。姑ナオミへの深い信頼と愛情は、そういう信仰の上に築かれてきたものと思われる。

 ナオミとルツは頼りの綱である男たちを全て失ってしまった。しかし、彼女たちは、運命を恨んだり、主なる神を呪うこともなく、全てを主なる神の御旨として受け入れ、なお主なる神を信頼し、主なる神に従って歩み続けた。祝福も苦しみも、喜びも悲しみも、全てを受け入れ、なお主なる神に信頼を置く、ここに信仰がある。そして、そこにはやがて、人の思いを遥かに超える主なる神の恵みと祝福の御業が現れる。その祝福の御業を、ご一緒に味わっていきたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記21章

聖書日課 士師記21章(新共同訳 旧約pp.418-420)

 21章は、いよいよ士師記の最終章である。一つの書の締め括りなので、心情としては、「メデタシ、メデタシ」で終わって欲しいところだが、「そんな期待は甘い!」と言わんばかりに、士師記は最後まで、主なる神から離れた人間の愚かな現実を書き記している。

 ベニヤミン族の極悪非道な行為に対し、怒りに駆られたイスラエルの人々は、彼らに戦いを仕掛けた。その結果、ベニヤミン族は僅か「六百人」の兵士を残すだけとなってしまった(20章47節)。この時、彼らはようやく気が付いた。イスラエルから一つの部族が欠け」ようとしていることに(3節)。ここまで来たところで、彼らの民族意識が再び目覚めた。

 そこで彼らは、ベニヤミン族を絶やさないためにはどうしたらよいか考えた。ところが、その時彼らが思いついた方策は、とんでもないものだった。彼らは、ベニヤミン族との戦いに参加しなかった「ギレアドのヤベシュの住民」「処女の娘四百人」だけ残して、「女や子供に至るまで剣にかけ」て滅ぼし尽くしてしまった(10節、12節) ! そして、生き残った600人のベニヤミンの兵士たちに和解を呼びかけ、彼らにその娘たちを与えた(13~14節)。

 それでも「まだ足りなかった」。そこで今度は、「シロの町」で毎年行われる「主の祭り」「踊りに出て来」た娘たちを「捕まえ」「ベニヤミンの地」に連れ帰るよう命じた(19~20節)。そして、娘たちの家族には、「我々に免じて憐れみをかけてやってほしい」という説得工作に出た(22節)。

 これは、とても神の民のやり方とは思えない。結局彼らは、どこまでも主なる神から離れたままだった。

「ベニヤミンの人々はそのようにした。彼らは踊っている女たちを奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んだ。イスラエルの人々もそのときそこを去り、それぞれ自分の部族、自分の氏族のもとに帰って行った。そこからそれぞれ自分の嗣業の地に向かって出て行った。そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(23~25節)。

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」士師記はこの言葉をもって終わっている。それはこの時代の堕落の本質を示す言葉である。その一方で、人間には自分たちを正しい道に導く力ある王が必要であることを教えている言葉でもある。イエス・キリストを、我が主、我が王としてお迎えすることの重要性を改めて確認したい。

「わたしの王、わたしの神よ/助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります」(詩編5章3節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記20章

聖書日課 士師記20章(新共同訳 旧約pp.415-418)

 ベニヤミン族のギブアの町で起こった事件は、瞬く間に、イスラエル全部族を巻き込む争いへと拡大してしまった。

 レビ人の側女の死体の一部が送りつけられたのを見ると、イスラエルの人々は、怒りに駆られ、ベニヤミン族への報復を誓った。そして、「四十万」にも及ぶ大軍勢を率いて(2節)、ベニヤミン族に「ならず者の犯人」「引き渡せ」と迫った。

 しかし、ベニヤミンの人々は、イスラエルの人々の声を聞こうとはしなかった」。それどころか、彼らはイスラエルの人々と戦おうとし」た。

イスラエルの諸部族は、全ベニヤミン族に人を送って、こう告げた。『あなたたちの中で行われたあの犯行はなんということか。今、あのならず者の犯人がギブアにいれば、引き渡せ。犯人を殺してイスラエルの中から悪を取り除こう。』だが、ベニヤミンの人々は、その兄弟たち、イスラエルの人々の声を聞こうとはしなかった。かえってベニヤミンの人々は町々からギブアに集まり、イスラエルの人々と戦おうとして出て来た」(12~14節)。

 その後の戦いで、ベニヤミン族の大半が殺され、一族は存亡に関わる危機に陥った(35節)。一方、勝利したイスラエル諸部族にも、何万人もの死傷者が出た(21節、25節)。それは余りにも大きな犠牲であった。

 ギブアのならず者たちの非道な行為が、国中に怒りと憎しみの嵐を引き起こすことになってしまった。

 もしあの側女の主人が、彼女をならず者たちに引き渡しさえしなければ、このような事件は起こらなかったかも知れない。また、もし彼が、側女の死体をイスラエル中に送りつけるようなことをしなければ、ここまで怒りが広がることはなかったに違いない。或いは、もしイスラエルの人々が怒りに駆られて報復しようとしなければ、このような争いは避けられただろう。そして、もしベニヤミン族がイスラエルの人々の声を聞き入れていれば、何万人もの人々の命が失われずに済んだ。

 怒りと憎しみの連鎖を断ち切るチャンスは、何度もあった。その時、何よりも必要なものは、主なる神の御声を聞く耳と、主なる神の御声に喜んで従う素直で従順な心だった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記19章

聖書日課 士師記19章(新共同訳 旧約pp.414-415)

 恐ろしい事件が起こった。「一人の女」が、「町のならず者」によって「もてあそ」ばれ、殺された(25節)。しかも、その女の主人は、怒りに駆られて、彼女の死体を「十二の部分に切り離し、イスラエル全土に送りつけた」というのである!

「朝になるころ、女は主人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていた。彼女の主人が朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていたので、『起きなさい。出かけよう』と言った。しかし、答えはなかった。彼は彼女をろばに乗せ、自分の郷里に向かって旅立った。家に着くと、彼は刃物をとって側女をつかみ、その体を十二の部分に切り離し、イスラエルの全土に送りつけた」(26~29節)。

 この女性の主人は「レビ人」で、女性は彼の「側女」だった(1節)。神殿で主なる神に仕えるレビ人に側女がいること自体、何かがズレている。或る日、この側女は、主人の家を逃げ出して実家に帰ってしまった(2節)。「四か月」ほどして、主人は側女を連れ戻すために、彼女の実家に行った。主人を裏切った側女にも問題があっただろうが、それを「四か月」も放っておいた主人も主人である。やはり何かがズレている。

 彼女の父は、彼をなかなか帰そうとしなかったが(4~9節)、しびれを切らした主人は、無理やり「側女を連れて」その家を出て帰途に就いた(10節)。そして、その途上で、この恐ろしい事件が起きた。

 彼らは、「異国人の町」は危険だと、わざわざ同族のベニヤミンの町「ギブア」まで行った(11~15節)。ところが、一夜の宿を借りたその家を、「町のならず者」が取り囲んで言った。「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい」(22節)。

 何と彼らは、そのレビ人に男色を求めたのである。これがこの時代のイスラエルの現実だった。それはソドムとゴモラのような状況だった(19章5節)。しかも、レビ人は、何と「側女をつかんで、外にいる人々のところへ押し出」した! その結果は、冒頭に見た通りである。

 聖書の言う「罪」とは、〈的外れ〉を意味する。主なる神によって造られた人間が、主なる神から離れ、主なる神の目的からズレてしまっている状態、それが「罪」である。士師の時代の人々は、この主なる神の目的から完全にズレてしまっていた。しかも、彼らはそのズレに気付いてもいなかった。

 しかし、これは現代の私達の姿でもある。主なる神を知らず、求めることもなく、主なる神の存在を否定する社会、士師記と同じような出来事や事件が日常茶飯事の社会、それが今の私達の社会ではないか。主なる神の〈的〉に立ち帰ること、それが、この時代に第一に必要なことなのではないか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記18章

聖書日課 士師記18章(新共同訳 旧約pp.412-414)

「ダンの部族」は、嗣業の土地から敵を追い出すことが出来ないため、自分達が「住み着く」町を他に探していた(1節)。そこで、ライシュという町を探し当てた。この町の人々は、「静かに、また、穏やかに安らか」に暮らしていたので(7節)、ダンの人々は、この町を奪い取ることにしたと記されている(9節)。

 ライシュに向かう途中、彼らはミカの家に立ち寄った(13節)。すると、そこに「彫像、エフォド、テラフィム、鋳像」があるのを見てこれを奪い取り(18節)、ミカに雇われていた祭司もろとも連れ去ってしまった。

 祭司は一旦は彼らを制した。しかし、「わたしたちの父となり、祭司となってください。一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか」という彼らの言葉を聞いて(19節)、「これを快く受け入れ」、彼らに「加わった」(20節)。

 ダン族もダン族なら、祭司も祭司である。しかし、これがこの時代のイスラエルの姿だった。主なる神への信仰に立って敵を追い出す勇気もなく、自分達よりも弱いと見るや、「穏やかに」慎ましく暮らしている人々に攻撃を仕掛ける。おまけに同じイスラエルの民の家からも、力ずくで物や人を奪って居直ってしまう。これが、主なる神への信仰を失ってしまったイスラエルの姿だった。

「彼らはミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かい、その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。その町はシドンから遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者がなかった。それはベト・レホブに属する平野にあった。彼らはその町を再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。ダンの人々は、自分たちが拝むために例の彫像を立てることにした。またモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を勤めた。こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた」(27~31節)。

 それにしても、どうして聖書はこのような暗い話を記しているのだろうか。それは、〈現実を見る〉ということを、私達に教えてくれているのではないか。主なる神から離れ、主なる神を捨てた人間の行き着く先はこのような姿である。これは誤魔化したくても、誤魔化しようのない現実である。

 しかし、これは決して、私達を暗い思いに沈めるために記されているのではない。私達が、現実を弁えて主なる神に立ち返り、主なる神と共に、主なる神に信頼して生きることの大切さを知るために記されている。主なる神の愛と恵みのもとに生き続ける者でありたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記17章

聖書日課 士師記17章(新共同訳 旧約pp.411-412)

 17章から士師記の結論部分に入る。主なる神が何人もの士師たちを遣わしてイスラエルを救ったにもかかわらず、彼らは結局、最後まで偶像礼拝から離れることはなかった。そして、多くの異教の民族が、未だに勢力を保ったままイスラエルの中に残されていた。

 人々は戦う意欲を失っていた。主なる神への信仰を失っていたのである。そればかりか、異教の神々を取り入れることさえしていた。確かに、形式的には主なる神を拝んでいた。しかし、それは、律法の教えとは全く懸け離れたものだった。

 そのような時代の特徴を表す一文が記されている。

「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」(6節)。

 これは士師記の結論部分の中に何度も出てくる特徴的な一文である。この言葉通り、この時代は、それぞれが好き勝手に生きていた時代だった。社会全体が、倫理も、道徳も、宗教も、全てが自己中心に動いていた。

 ここに登場する「ミカという男」も、自分の母親から「銀千百シェケルを盗むような人間だった。おまけに、その金を返してもらった母親は、息子を叱るどころか「祝福」する始末だった。そしてその銀で偶像を造ったのである!

「エフライムの山地に名をミカという男がいて、母に言った。『銀千百シェケルが奪われたとき、あなたは呪い、そのことをわたしにも話してくれました。その銀はわたしが持っています。実はわたしが奪ったのです。』母は言った。『わたしの息子に主の祝福がありますように。』彼が母に銀千百シェケルを返すと、母は言った。『息子のために彫像と鋳像を造っていただこうとして、この銀はこの手で聖別し、主におささげしたものです。今これをあなたに返します。』彼が銀を母に返すと、母は銀二百シェケルを取って銀細工師に渡し、彫像と鋳像を造らせた。ミカの家にあったのはそれである」(1~4節)。

 更に、「このミカという男」は自分の家に「神殿をもっており」、祭司が着用する「エフォドとテラフィムを造って」、自分の「息子の一人」を勝手に「自分の祭司にしていた」。確かに形はあるけれども、中身は全く異質な信仰となっていたのである。

「このミカという男は神殿をもっており、エフォドとテラフィムを造って、息子の一人の手を満たして自分の祭司にしていた」(5節)。

 ここには、主なる神から全く離れた人間の社会があった。とはいえ、時代も文化も全然違う筈なのに、現代の私達ととても似ているように思われるのは私だけだろうか。個人としても、社会としても、教会としても、決して見過ごしてはならない教訓が、ここに示されている。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記16章

聖書日課 士師記16章(新共同訳 旧約pp.409-411)

 波乱万丈…サムソンの生涯を一言で表すとすれば、この言葉がピッタリだろう。

 サムソンは、その生涯の中で何人もの女性と恋に落ちた。しかし、どの恋も危なっかしいものばかりだった。そして、サムソンは最後にデリラと出会った(4節)。その名前の意味は、何と〈浮気な〉〈恋を弄ぶ〉である。それはデリラだけでなく、そういう相手を選ぶサムソン自身の性質でもあった。いずれにせよ、サムソンは、この女性と出会ったことで悲劇的な最期を迎えることになってしまった。

 サムソンがデリラと恋仲になったという噂を聞きつけたペリシテ人の領主たち」は、デリラを「銀千百枚」で買収し、サムソンの力の秘密を探らせようとした(5節)。そこで、デリラは、早速その「怪力」の秘密を教えて欲しいとサムソンに言い寄った(6節)。サムソンは、何度か〈でまかせ〉を言って誤魔化した。しかし、デリラが、「来る日も来る日も」「しつこく迫ったので」、サムソンはとうとう「耐え切れず」に秘密を「打ち明け」てしまった。

 デリラが自分を裏切っていることは、どんなに鈍いサムソンでも分かっていた筈である。つまり、サムソンは知っていながら、自ら屈してしまったのである。そのため、遂にサムソンは、ペリシテ人に捕えられ、「目をえぐり」取られて牢に入れられてしまった(21節)。それは、まさに自業自得としか言いようがない。

 しかし、そのような苦しみの中でサムソンの信仰は再び蘇った。絶望のどん底で主なる神に立ち帰ったのである!

「サムソンは主に祈って言った。『わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください』」(28節)。

 サムソンの祈りは、命を賭けた信仰の叫びであった。そして、彼の真剣な祈りに、主なる神は応えて下さった。こうして、再び主なる神から力を得たサムソンは、神殿とそこにいた大勢のペリシテ人もろともに壮絶な最期を遂げた。

「それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。そこでサムソンは、『わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい』と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった」(29~30節)。

 波乱万丈、体たらく、ハチャメチャ…色々言えるかも知れない。それでも、サムソンは、主なる神に愛され、主なる神を愛して生きた人だった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com

聖書日課 士師記15章

聖書日課 士師記15章(新共同訳 旧約pp.407-409)

 サムソンとペリシテ人の女性との結婚は、最初から波乱ずくめだった。

 結婚式の宴会で、余興気分で出した〈謎かけ〉をめぐって、新妻に裏切られ腹を立てたサムソンは(14章17節)、そのまま自分の家に帰ってしまった(同19節)。そのため、その女性は、サムソンの友人に嫁がされてしまった(同20節)。

 ところが、何も知らずに再び「妻を訪ね」たサムソンは、妻が他の男のものとなってしまったことを知り、また腹を立てた。そして、捕らえた動物たちに「松明を取り付け」「その松明に火をつけ」て放ち、ペリシテ人の畑を焼き尽くしてしまった。

「しばらくして小麦の収穫のころ、サムソンは一匹の子山羊を携えて妻を訪ね、『妻の部屋に入りたい』と言ったが、彼女の父は入らせなかった。父は言った。『わたしはあなたがあの娘を嫌ったものと思い、あなたの友に嫁がせた。妹の方がきれいではないか。その妹を代わりにあなたの妻にしてほしい。』サムソンは言った。『今度はわたしがペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない。』サムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けた。その松明に火をつけると、彼はそれをペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした」(1~5節)。

 怒ったペリシテ人たちは、「彼女とその父」を家もろとも「火を放って焼き殺した」(6節)。するとサムソンは彼らに「報復」し、「彼らを徹底的に打ちのめし」た(7~8節)。そのため、遂にペリシテ人は、イスラエルに対して戦いを仕掛けた(9節)。こうして、サムソンが引き起こした問題は、とうとう民族紛争にまで膨れ上がってしまった。

 困ったのはユダの人々である。サムソンのおかげで、自分達の命まで危うくなったのだから。そこで、彼らは大挙してサムソンに詰め寄り、彼を「縛ってペリシテ人の手に渡し」てしまった(11~13節)。しかし、サムソンは、主の力を得て、たった一人で「千人」ペリシテ人「打ち殺した」(14~15節)。非常に目まぐるしい話である。

 このように、サムソンは勇猛果敢だったが、同時に、すぐ怒る、暴力をふるう、周りの迷惑を顧みないなど、多分に幼児性を残した人物でもあった。しかし、主なる神は、そういう欠点を抱えたサムソンを用いられた。これは、私達にとって慰めとも言えるかも知れない。主なる神は、サムソンと同様に、欠点のある私達を愛して下さっている。勿論幼稚なままで良いということではない。私達は、愛においても清さにおいても、成長することを期待されている。愛されていることを感謝しつつ、聖霊によって造り変えられることを日々求め続けよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com