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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 士師記16章

聖書日課 士師記16章(新共同訳 旧約pp.409-411)

 波乱万丈…サムソンの生涯を一言で表すとすれば、この言葉がピッタリだろう。

 サムソンは、その生涯の中で何人もの女性と恋に落ちた。しかし、どの恋も危なっかしいものばかりだった。そして、サムソンは最後にデリラと出会った(4節)。その名前の意味は、何と〈浮気な〉〈恋を弄ぶ〉である。それはデリラだけでなく、そういう相手を選ぶサムソン自身の性質でもあった。いずれにせよ、サムソンは、この女性と出会ったことで悲劇的な最期を迎えることになってしまった。

 サムソンがデリラと恋仲になったという噂を聞きつけたペリシテ人の領主たち」は、デリラを「銀千百枚」で買収し、サムソンの力の秘密を探らせようとした(5節)。そこで、デリラは、早速その「怪力」の秘密を教えて欲しいとサムソンに言い寄った(6節)。サムソンは、何度か〈でまかせ〉を言って誤魔化した。しかし、デリラが、「来る日も来る日も」「しつこく迫ったので」、サムソンはとうとう「耐え切れず」に秘密を「打ち明け」てしまった。

 デリラが自分を裏切っていることは、どんなに鈍いサムソンでも分かっていた筈である。つまり、サムソンは知っていながら、自ら屈してしまったのである。そのため、遂にサムソンは、ペリシテ人に捕えられ、「目をえぐり」取られて牢に入れられてしまった(21節)。それは、まさに自業自得としか言いようがない。

 しかし、そのような苦しみの中でサムソンの信仰は再び蘇った。絶望のどん底で主なる神に立ち帰ったのである!

「サムソンは主に祈って言った。『わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください』」(28節)。

 サムソンの祈りは、命を賭けた信仰の叫びであった。そして、彼の真剣な祈りに、主なる神は応えて下さった。こうして、再び主なる神から力を得たサムソンは、神殿とそこにいた大勢のペリシテ人もろともに壮絶な最期を遂げた。

「それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。そこでサムソンは、『わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい』と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった」(29~30節)。

 波乱万丈、体たらく、ハチャメチャ…色々言えるかも知れない。それでも、サムソンは、主なる神に愛され、主なる神を愛して生きた人だった。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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