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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 士師記21章

聖書日課 士師記21章(新共同訳 旧約pp.418-420)

 21章は、いよいよ士師記の最終章である。一つの書の締め括りなので、心情としては、「メデタシ、メデタシ」で終わって欲しいところだが、「そんな期待は甘い!」と言わんばかりに、士師記は最後まで、主なる神から離れた人間の愚かな現実を書き記している。

 ベニヤミン族の極悪非道な行為に対し、怒りに駆られたイスラエルの人々は、彼らに戦いを仕掛けた。その結果、ベニヤミン族は僅か「六百人」の兵士を残すだけとなってしまった(20章47節)。この時、彼らはようやく気が付いた。イスラエルから一つの部族が欠け」ようとしていることに(3節)。ここまで来たところで、彼らの民族意識が再び目覚めた。

 そこで彼らは、ベニヤミン族を絶やさないためにはどうしたらよいか考えた。ところが、その時彼らが思いついた方策は、とんでもないものだった。彼らは、ベニヤミン族との戦いに参加しなかった「ギレアドのヤベシュの住民」「処女の娘四百人」だけ残して、「女や子供に至るまで剣にかけ」て滅ぼし尽くしてしまった(10節、12節) ! そして、生き残った600人のベニヤミンの兵士たちに和解を呼びかけ、彼らにその娘たちを与えた(13~14節)。

 それでも「まだ足りなかった」。そこで今度は、「シロの町」で毎年行われる「主の祭り」「踊りに出て来」た娘たちを「捕まえ」「ベニヤミンの地」に連れ帰るよう命じた(19~20節)。そして、娘たちの家族には、「我々に免じて憐れみをかけてやってほしい」という説得工作に出た(22節)。

 これは、とても神の民のやり方とは思えない。結局彼らは、どこまでも主なる神から離れたままだった。

「ベニヤミンの人々はそのようにした。彼らは踊っている女たちを奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んだ。イスラエルの人々もそのときそこを去り、それぞれ自分の部族、自分の氏族のもとに帰って行った。そこからそれぞれ自分の嗣業の地に向かって出て行った。そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」(23~25節)。

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」士師記はこの言葉をもって終わっている。それはこの時代の堕落の本質を示す言葉である。その一方で、人間には自分たちを正しい道に導く力ある王が必要であることを教えている言葉でもある。イエス・キリストを、我が主、我が王としてお迎えすることの重要性を改めて確認したい。

「わたしの王、わたしの神よ/助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります」(詩編5章3節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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