聖書日課 ヨシュア記24章(新共同訳 旧約pp.376-379)
死を覚悟したヨシュアは、イスラエルの民に最後の言葉を残した。
「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」(14~15節)。
アブラハム以来、主なる神は、一貫してイスラエルを選びの民として守り、助け、時に戒めながら、彼らを祝福溢れる約束の地へと導いて来られた。主なる神は約束に忠実な方であり、彼らを全世界の祝福の源とするためのご計画を着々と推進してこられた。
そのために、イスラエルは、自分達の置かれている祝福の立場をしっかりと弁え、「真心を込め真実をもって」「主を畏れ」、「主に仕え」ることが求められた。そして、それこそが、全世界に主なる神の祝福を届ける道であり、神の民として選ばれ生かされている彼らの存在意義だった。だから、ヨシュアは、遺言とも言える最後の説教の中でこのことを伝えた。
あなたは今、自分がこの地上に生かされている意味、自分自身の存在意義を、どこに見出しているだろうか。「そう言われても、そのようなことは考えたこともないし、考えても分からない。そもそも、忙しくてそのようなことを考える余裕もない」というのが多くの人の本音かも知れない。
しかし、落ち着いて考えてみれば、それが分からないままでは、人生に充実や幸福が得られなくても仕方がないのではないか。せいぜい刹那的な喜びや楽しみで、自分の時間を埋めるしかない。
「主を畏れ、真心を込め真実をもって」「主に仕え」る。私達が生かされている意義は、ここにあると聖書は言う。
この道を信じてまっすぐに歩み生きるなら、主なる神の祝福が私達の人生に満ち溢れ、私達は主なる神の祝福の源となって、多くの人々に祝福を届ける者となる。この世界に主なる神の祝福が満ち溢れ、全ての人が滅びることなく、主なる神の救いと祝福に満たされること、主なる神の願いはそこにある。
「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい」(14節)。
西原新生バプテスト教会
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