ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書40章

聖書日課 エレミヤ書40章(新共同訳 旧約pp.1252-1253)

 本章には、エルサレムを滅ぼした敵国バビロンの「親衛隊の長」の驚くべき言葉が記されている。

「親衛隊の長はエレミヤを連れて来させて言った。『主なるあなたの神は、この場所にこの災いをくだすと告げておられたが、そのとおりに災いをくだし、実行された。それはあなたたちが主に対して罪を犯し、その声に聞き従わなかったからである。だから、このことがあなたたちに起こったのだ。さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良しと思い、正しいとするところへ行くがよい』」(2~4節)。

 エルサレムを滅ぼしたのは自分達自身であるにもかかわらず、彼は、その全てがエレミヤが預言した主なる神の言葉通りであったことに、心を震わせていたのだろう。

 キリスト信仰は、単に理論や倫理・道徳ではない。現実であり、具体的な出来事の上に成り立っている。「初めに、神は天地を創造された」という言葉をもって始まる聖書は(創世記1章1節)、「神とは何か」とか「神は存在するのか」といった説明は一切しない。主なる神による天地創造という出来事の上に信仰を説く。

 私達の信仰も、神の子、主イエス・キリストの十字架という出来事の上に成り立っている。十字架は、人類の全ての罪の贖いであり、ここにこそ、そしてここにのみ、私達の救いがある。

 それ故、信仰とは、主なる神が成し遂げられた出来事への信頼であり、主なる神の御業を文字通り主なる神の御業として受けとめていくことである。理論や倫理・道徳は、その信仰を土台として生まれてくる。

 聖書の言葉は、この世界の現実を読み解く鏡である。つまり、御言葉という鏡に映し出される時、この世の現実の意味と本質が明らかに示される。その意味で、かつてバビロンの「親衛隊の長」が主なる神の言葉の実現に心を震わせたように、私達も、主なる神の御言葉が今も私達を取り巻く現実の中に実現していることを見出し、心を震わせ、主なる神をほめたたえたいと思う。

「主なる神をたたえよ/イスラエルの神/ただひとり驚くべき御業を行う方を」(詩編72編18節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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