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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書38章

聖書日課 エレミヤ書38章(新共同訳 旧約pp.1249-1251)

 本章でゼデキヤ王は、これが一国の王の言葉なのかと疑ってしまうほど弱気の発言をしている。しかし、ここにゼデキヤ王という人物の本質が現れているように思う。

「ゼデキヤ王はエレミヤに言った。『わたしが恐れているのは、既にカルデア軍のもとに脱走したユダの人々である。彼らに引き渡されると、わたしはなぶりものにされるかもしれない』」(19節)。

 ゼデキヤは、主なる神ではなく、人を「恐れて」生きていた。

「役人たち」が、エレミヤを「死刑にしてください」と王に願い出た時もそうだった(4節)。その時、ゼデキヤ王はこう答えた。

「ゼデキヤ王は答えた。『あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから』」(5節)。

 ここから分かるように、この時、既にゼデキヤ王は、国を統率する力を失っていた。それは、彼が「役人たち」を恐れていたからである。

 ところが、エレミヤが捕えられてしばらくすると、今度はエレミヤに好意的な「宦官エベド・メレク」がエレミヤを助けて欲しいと王に訴え出た。すると、ゼデキヤ王は答えて言った。

「王はクシュ人エベド・メレクに、『ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい』と命じた」(10節)。

 一体、王はエレミヤの味方なのか敵なのか。そもそも、何を信じて、どこに立って生きているのか、さっぱり分からない。しかも、この後、ゼデキヤ王は、エレミヤを自分のもとに呼び出し、主なる神の託宣を再び尋ねたにもかかわらず、エレミヤの進言に聞き従うことはなかった。

 何という優柔不断! 何という一貫性の無さだろう! このような王が治める国が間もなく滅びるのは当然と言えるのかも知れない。しかし、それもこれも全て、ゼデキヤ王が主なる神を畏れ敬うよりも、人を恐れて生きていたためであった。私達も同じ轍を踏むことのないように心したいものである。

「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」(箴言29章25節、新改訳)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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