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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書12章

聖書日課 エレミヤ書12章(新共同訳 旧約pp.1199-1200)

「神に逆らう者」「栄え」、主なる神に従って善良に生きている人が苦しむ…そのようなこの世の現実を見て、「神様なんか信じたってしょうがない、何の役にも立たないし、却って損ばかりだ」などと思ってしまうことはないだろうか。

「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、わたしはあなたと争い/裁きについて論じたい。なぜ、神に逆らう者の道は栄え/欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。あなたが彼らを植えられたので/彼らは根を張り/育って実を結んでいます。口先ではあなたに近く/腹ではあなたから遠いのです」(1~2節)。

 エレミヤもその一人だった。勿論、彼は、主なる神が正しい方であることを知っていたし、信じてもいた。しかし、「神に逆らう者の道は栄え/欺く者は皆、安穏に過ごしている」というこの世の現実を見て、どうしても「なぜ」と問わざるを得ない衝動に駆られた。

 しかも、ここで言われている「神に逆らう者」は、「口先ではあなたに近く/腹ではあなたから遠いのです」とあるように、異教徒とか主なる神を信じない人々というよりも、表面的には主なる神を礼拝しているが、その実、主なる神に聞き従おうとしない人々だった。つまり、彼らは自分と同じ神の民の中に存在していた。

 このような人々は、口では「主よ、主よ」と言っていても、あくまでも自分が主人であり、主なる神に従順に聞き従うよりも、自分の都合の良い時だけ、主なる神を持ち出した。彼らは、「神は我々の行く末を見てはおられない」と言いながら(4節)、自分達だけの安穏とした生活に甘んじていた。そのような人々がユダの国に蔓延り、表面的には信仰を保っているかのように見えて、その実全く主なる神から遠く離れていた。

 この時、主はエレミヤに言われた。

「わたしはわたしの家を捨て/わたしの嗣業を見放し/わたしの愛するものを敵の手に渡した」(7節)。

 裁きは必ずやって来る。主なる神は、罪をいつまでも放っておくことはない。しかし、それと共に主なる神は、「わたしの愛するもの」である神の民を、滅ぼされたままに放っておかれることは決してない。

「わたしは彼らを抜き取った後、再び彼らを憐れみ、そのひとりひとりをその嗣業に、その土地に帰らせる」(15節)。

 これが義と愛の神の約束である。主なる神は、罪を裁かれるが、再び憐れみ、その一人一人を約束の地に帰らせて下さる。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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