聖書日課 イザヤ書19章(新共同訳 旧約pp.1088-1090)
19章には驚くべきことが記されている。「エジプト」も「アッシリア」も、「イスラエル」の敵であり脅威であった筈なのに、その国々が「共に」仲良く「世界を祝福する」ようになるというのである。そして、主なる神が、その3つの国々を同じように「祝福して」いる。
「その日には、イスラエルは、エジプトとアッシリアと共に、世界を祝福する第三のものとなるであろう。万軍の主は彼らを祝福して言われる。『祝福されよ/わが民エジプト/わが手の業なるアッシリア/わが嗣業なるイスラエル』と」(24~25節)。
ところが、19章の前半(1~15節)には、その「エジプト」への厳しい審判の「託宣」が記されている。「偶像」や「口寄せ」に依り頼むエジプトは(3節)、政治的にも、経済的にも崩壊し、知恵と勇気を失って衰え果ててしまうと言われている。
しかし、16節から内容が一変する。それは「その日」と記される時に起こる出来事である。
「その日には、エジプトの地の中心に、主のために祭壇が建てられ、その境には主のために柱が立てられる。それは、エジプトの地において、万軍の主を指し示すしるしとなり、証しとなる。もし彼らが、抑圧する者のゆえに、主に叫ぶならば、主は彼らのために救助者を送り、彼らを救われる」(19~20節)。
「主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らをいやされる」(22節)。
かつて主なる神はイスラエルを選ばれた。それはイスラエルによって全世界に祝福をもたらすためであった。つまり、元々主なる神は、全ての国々、全ての民族を平等に愛しておられた。それ故、イスラエルを苦しめた「エジプト」もアッシリアも、いつも主なる神の愛の中に覚えられていた。
16~24節には「終わりの日の和解」という見出しが付けられているが、ここでは、主なる神が最終的に全ての敵意を取り去り、敵対していた国々に和解と平和をもたらし、全世界を「祝福」で満たして下さると宣言されている。
イエス・キリストは、「あなたの敵を愛しなさい」と言われたが(ルカによる福音書6章27節)、それはこうして旧約の教えの中にも垣間見ることの出来る主なる神の願いであり、約束でもある。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな恵みと愛の中に包まれ、生かされていることを感謝致します。
主よ、あなたの民イスラエルを苦しめ、高慢と反逆の限りを尽くしたエジプトとアッシリアに対するあなたの祝福のお言葉を聞き、私は言葉を失います。終末においてあなたがご計画になっている祝福の完成のご計画を聞き、御前にひれ伏します。
強者が弱者を踏みにじる、戦いと争いの絶えないこの世にあって、私達は自分の中にある悪と罪から目を逸らし、他者の悪と罪のみを糾弾し、自分だけが祝福されることを願います。しかし、あなたは全てを祝福すると仰います。
あなたは、このように罪深い者を赦して下さいました。あなたは、私の罪を打たれましたが、私が滅んでしまうことを望まず、生かして祝福して下さいました。主よ、あなたの御思いが、私達だけでなく、全ての人に向かって開かれていること、あなたが全ての人を招いて下さっていることを覚えます。
どうか、全てのものがあなたの前に静まり、ひれ伏し、あなたにある平和と祝福を与えられますように。一人一人の心の中にあなたが宿って下さい。あなたに心を向けることが出来ますように。傷んでいるお一人お一人のところを訪れて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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