聖書日課 イザヤ書18章(新共同訳 旧約pp.1087-1088)
18章には、「クシュとの陰謀」という見出しが付けられている。
「クシュ」とは、現在のエチオピアのことであると言われている。紀元前8世紀の終わり頃、「クシュ」はエジプトをも支配する力を誇っていた。そして、北方の強国アッシリアに対抗し、反アッシリア同盟との連携を深め、ユダ王国にもこれに同盟するよう「使節を遣わ」して誘いかけてきた。
「災いだ、遠くクシュの川のかなたで/羽の音を立てている国は。彼らは、パピルスの舟を水に浮かべ/海を渡って使節を遣わす。行け、足の速い使者たちよ。背高く、肌の滑らかな国/遠くの地でも恐れられている民へ。強い力で踏みにじる国/幾筋もの川で区切られている国へ」(1~2節)。
この時、イザヤによって主なる神のメッセージが、人々に伝えられた。
「世界の住民、地上に住むすべての人よ/山に合図の旗が立てられたら、見るがよい/角笛が吹き鳴らされたら、聞くがよい。主はわたしにこう言われた。『わたしは黙して/わたしの住む所から、目を注ごう。太陽よりも烈しく輝く熱のように/暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように。』刈り入れ時の前に、花が終わり/花の房が実となり、熟し始めると/主は枝を刃物で切り落とし/つるを折り、取り去られる」(3~5節)。
これはアッシリアの滅亡を預言したものであるが、それまで主なる神は「黙して」、「住む所から、目を注」がれていると言われている。つまり、アッシリアは滅亡ギリギリまで隆盛を誇り、突然「取り去られる」時が来るというのである。これは人間にとっては、俄かには信じ難いことであり、大きな忍耐が必要とされる。
しかし、主なる神はちゃんと目を留めておられる。そして、時が熟せば、速やかに事を起こして下さる。主なる神に信頼を置いて、どこまでも待つこと、そこに信仰がある。外国に頼るのではなく、軍事力に頼るのでもなく、ただ主にのみ依り頼んで待つこと、そこに真の戦い、つまり信仰による戦いがある。
西原新生バプテスト教会
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