ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書20章

聖書日課 イザヤ書20章(新共同訳 旧約p.1090)

「裸、はだしで歩き回った」(2節)…これは預言者の「象徴的行動」と呼ばれるもので、言葉ではなく、或る特異な行動を通して主なる神のメッセージを印象強く伝えようとするものである。

アッシリアの王サルゴンに派遣された将軍がアシュドドを襲った年のことである。彼はアシュドドと戦い、これを占領した。それに先立って、主はアモツの子イザヤを通して、命じられた。『腰から粗布を取り去り、足から履物を脱いで歩け。』彼はそのとおりにして、裸、はだしで歩き回った。主は言われた。『わたしの僕イザヤが、エジプトとクシュに対するしるしと前兆として、裸、はだしで三年間歩き回ったように、アッシリアの王は、エジプトの捕虜とクシュの捕囚を引いて行く。若者も老人も、裸、はだしで、尻をあらわし、エジプトの恥をさらしつつ行く。彼らは自分たちの望みをかけていたクシュのゆえに、誇りとしていたエジプトのゆえに、恐れと恥をこうむるであろう。』その日には、この海辺の住民は言う。『見よ、アッシリアの王から救われようと助けを求めて逃げ、望みをかけていたものがこの有様なら、我々はどうして逃げ延びえようか』」(1~6節)。

 それにしても、いくら主なる神のメッセージとはいえ、また、いくら主なる神に仕える預言者とはいえ、公衆の面前で「三年」間もそのような姿で歩き回るなど、殆ど狂気の沙汰としか思われない行為である。しかし、それが突拍子もない行為であればあるほど、人々の意識の中に強烈な印象を与えたに違いない。また、当時の捕虜は、実際、「裸、はだし」で引いて行かれたので、その事実を伝えるためには一番効果的な方法であったとも言える。

「エジプト」に頼ってアッシリアに背いた「アシュドト」の民に襲い掛かろうとしていた悲劇を、主なる神はイザヤを通して前もってユダの民に知らせようとされた。こうして、神の民が同じ間違いを犯し、同じ悲劇を被ることのないように呼びかけられた。イザヤの行為が特異であればあるほど、それだけ主なる神のユダの民を救おうとする必死な御思いが伝わってくる。

 エジプトに依り頼んではならない! ただ真の神にのみ依り頼んで生きよ! そうすれば救われる!

 イザヤの象徴的行動を通して、必死に呼びかける主なる神の御声が、私達にも聞こえてくる。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com