ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記下1章

聖書日課 サムエル記下1章(新共同訳 旧約pp.480-481)

 サムエル記下は、サウル王の死を悼むダビデの歌をもって始まる。

「泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。紅の衣をお前たちに着せ/お前たちの衣の上に/金の飾りをおいたサウルのために。ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンイスラエルの高い丘で刺し殺された。あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。ああ、勇士らは倒れた。戦いの器は失われた」(24~27節)。

「サウル王と王子のヨナタンの死を知らせるために、「一人の男」ダビデのもとを訪れた(2~4節)。そして、自分がサウル王に「とどめを刺し」たと報告した(10節)。彼は、ダビデがサウルの死を喜ぶと思って報告に来たのだろう。

 ところが、ダビデはその知らせを聞くと、「自分の衣をつかんで引き裂」き、「断食し」て悼み悲しんだ(11~12節)。そして、その男に向かって、「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か」と怒り、彼を打ち殺してしまった(14~15節)。

 ダビデの立場を考えれば、サウル王が死んで安心したとしても少しもおかしくない。しかし、彼はサウル王の死を、悼みと悲しみをもって受けとめた。

「主が油を注がれた方」ダビデはここに自分とサウル王の存在の意義を見出していた。それ故に、サウル王に命を狙われても自ら手を出すことなく、主なる神の御心に全てを委ねていた。ここにダビデの信仰と忍耐があった。

 信じて待つこと…、ここに信仰の大切な一面がある。それは、主なる神がきっと御業を行って下さるという希望であり、主なる神の御心に対する全幅の信頼である。そのような信仰があったからこそ、ダビデはサウル王への忠誠を生涯裏切ることはしなかった。

 何故なら、サウル王に敵対することは主なる神に敵対することであり、主が油を注がれた方を殺すことは自分自身を殺すことに他ならなかったからである。そして、ダビデ自身は知らなかっただろうが、それはメシア(主が油を注がれた者)に対する反逆にも繋がることだった。

「捕らわれるべき者は、/捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、/剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」(ヨハネの黙示録13章10節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com