聖書日課 サムエル記上24章(新共同訳 旧約pp.468-469)
「ダビデとその兵を追って」「エン・ゲディの荒れ野」にやって来たサウル王は(2~3節)、「用を足すために」「洞窟」に「入った」。ところが、洞窟の「奥にはダビデとその兵たち」がいた(4節)。
この時、ダビデの兵士は言った。
「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです」(5節)。
すると、ダビデは、兵士の勧めるままにサウル王に近づき、「サウルの上着の端をひそかに切り取った」(5節)。
ところが、その瞬間、ダビデの心は「後悔」の思いでいっぱいになった(6節)。
「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ」(7節)。
ダビデは、既に主によって油を注がれ、イスラエルの王となることを約束されていた。しかし、サウルもまた、主に油注がれたイスラエルの王である。その王に手をかけるなど、ダビデには到底出来ないことであった。何故なら、ダビデは何よりも主に信頼し、主に従う人物だったからである。
この時の兵士の言葉は、「ペリシテ人をあなたの手に渡す」という主の言葉を(23章4節)、自分たちに都合よく解釈したものと思われる。それはダビデに対する忠誠心からの言葉ではあっても、主なる神に対する忠誠心からのものではなかった。
しかし、ダビデは自分の都合を優先させるようなことはしなかった。だからこそ、サウルに手をかけることをしなかった。もし彼がサウル王に手をかけたとしたら、それは、同じ主に油注がれた者としての裏切り、或いは自殺行為となったに違いない。ダビデは、状況や自分の都合によって物事を判断することなく、どこまでも主への信頼と忠誠心に従って行動した。ここにダビデの真の勝利があった。そして、彼がイスラエルの王に相応しい人物であることが誰の目にも明らかにされた。
命拾いしたサウル王は言った。
「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される」(21節)。
ここに、真の信仰者、神の民の真のリーダーの姿が示された。
西原新生バプテスト教会
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