ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 サムエル記上31章

聖書日課 サムエル記上31章(新共同訳 旧約p.479)

 サウル王が死んだ。ペリシテ軍との戦いに敗れ(1節)、「深手を負った」サウルは(3節)、自らの手で命を絶った。サウルと共に「三人の息子」も皆死んだ。それは、サウル王朝の壮絶な最期であった。

「サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。『お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。』だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した。従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏してサウルと共に死んだ。この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ」(4~6節)。

 しかし、サウルの死は、決して無様な死ではなかった。敵の手によって殺されるのを潔しとせず、自ら止めを刺した。それは、王としてのせめてもの誇りであったと言うことが出来るだろう。

 確かにサウルは不信仰であった。主なる神の御心に対して不従順であった。そのため、イスラエルの王位を剥奪され、主なる神の霊はサウルを離れてしまった。しかし、それはあくまでも王として相応しくなかったということであり、軍事や祭儀上の不手際はあったものの、彼が専制君主のような暴君であったとか、軍事的に無能であったということではない。

 そう考えると、サウル王の死はとても悲しい死と言える。主なる神によって選ばれ、主なる神によって油を注がれたサウルは、イスラエルの民衆から「王様万歳」と大歓迎されてイスラエルの初代の王となった(10章24節)。誰よりも背が高く、若く美しい王は、人々の期待と賞賛の的だった。それだけに、サウル王の死に対するイスラエルの民の落胆と悲しみは大きかったに違いない。

 だからこそ、ペリシテ人によってサウル王の遺体が晒されていると聞くと、ヤベシュの勇士たちは、「夜通し歩」いて遺体を取り戻し、「火葬に付し」て丁重に葬った(11~13節)。

 しかし、サウル王の死を最も深く嘆き悲しんでおられたのは、他でもない、主なる神ご自身だったのではないか。主なる神は、自ら選び、自ら油を注がれた者の死を悲しまずにおられるような御方ではない。誰よりもサウルを惜しみ、誰よりもサウルの回復を願っておられたに違いない。だからこそ、私達は、サウル王の失敗から教訓を学ぶと共に、そのようなサウルをなお惜しまれ悲しまれる主なる神に目を注ぎたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com