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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記17章

聖書日課 ヨシュア記17章(新共同訳 旧約pp.365-366)

 イスラエルの各部族に嗣業の地が割り当てられる中で、ヨセフの子孫から不平の声が出てきた。

「あなたはなぜ、ただ一つのくじによる嗣業の土地、一つの割り当てしかくださらないのですか。わたしの民は、主に祝福されて、これほど数多くなりました」(14節)。

 1タラントンを受けた者には、2タラントンを受けた人が羨ましく見える。また、2タラントンの者には5タラントンが魅力的に見える。しかし、その違いは差別ではない。「それぞれの力に応じて」分け与えられたことを見落としてはならない(マタイによる福音書25章15節)。

 多い方が良い、大きい方が良いという価値観は正しいのだろうか。少ないことは悪いことなのだろうか。弱いことは欠点なのだろうか。

 また、皆が同じ数、同じ量というのは正しいことだろうか。差があるのは悪いことだろうか。違いがあるのはいけないことだろうか。

 聖書は「それぞれの力に応じて」と述べている。それは主なる神が御覧になった裁量によるのであって、私達人間が推し量ることの出来ない領域である。

 さて、ヨシュアはヨセフの子孫達に「あなたの民の数が多くて、エフライムの山地が手狭なら、森林地帯に入って行き、ペリジ人やレファイム人の地域を開拓するがよい」と提案した(15節)。しかし、それに対し、ヨセフの子孫は言った。

「山地だけでは足りません。しかし平地に住むカナン人は、ベト・シェアンとその周辺村落の住民もイズレエル平野の住民も皆、鉄の戦車を持っています」(16節)。

 そこに住むカナン人「鉄の戦車を持ってい」るために、開拓するのは難しいと、ヨセフの子孫は言い訳をした。

 まるで1タラントンを使わずに「地の中に隠し」た者のようである(マタイによる福音書25章25節)。そのような彼らにヨシュアは次のように命じた。

「山地は森林だが、開拓してことごとく自分のものにするがよい。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いかもしれないが、きっと追い出すことができよう」(18節)。

 タラントンのたとえの中では、2タラントンの者はそれを用いて4タラントンに増やし、5タラントンの者は10タラントに増やした。ヨセフの子孫達も、タラントンを増やすようにして切り開くことが求められていた。

 それを躊躇させる原因は〈恐れ〉だった。1タラントンの者も、これを失ったら大変だと思い、「恐ろしくなり」「地の中に隠し」た(マタイによる福音書25章25節)。

 ヨセフの子孫達も恐れた。土地を切り開くにも、そこにはカナン人が住んでいて、しかも「鉄の戦車を持ってい」たからである。彼らは、主なる神が今までして下さったように、これからも成して下さることを忘れていた。

 だから、そのような彼らにカナン人は鉄の戦車を持っていて、強いかもしれないが、きっと追い出すことができよう」という励ましが与えられた。

 相手がどのような武器を持っているかが問題ではない。私達の持っている武器の質も量も問題ではない。主が共におられることこそ最も大切なことである。

 主が共におられることを忘れてはいないだろうか。今日も、主が共におられることの故に、勇気をもって前進しよう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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