ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨシュア記12章

聖書日課 ヨシュア記12章(新共同訳 旧約pp.358-359)

 カナンの地における戦争は終結した。12章からは、戦いを終えたイスラエルの各部族に、カナンの各地が「嗣業の土地」(相続地)として分け与えられたことが記録されている。

ヨシュアはこうして、この地方全域を獲得し、すべて主がモーセに仰せになったとおりになった。ヨシュアは、それをイスラエルに各部族の配分に従って嗣業の土地として与えた。この地方の戦いは、こうして終わった」(11章23節)。

「嗣業」という言葉は一般の辞書には掲載されていない。新改訳では「相続地」と訳されているが、単なる遺産としての「領地」ではない(7節)。「嗣業」には、主なる神から授かった〈働き〉とか〈使命〉といった意味が込められている。つまり、「嗣業の土地」とは、それを転売するなど自分勝手に出来る土地ではなく、主なる神から与った〈ミッション〉と言えるだろう。それが「嗣業」に込められた意味である。

 だから、イスラエルの人々は、主なる神から賜った土地を手放してはならないと律法で命じられていた。たとえ困窮の故に「自分の所有地」を手放すようなことがあっても、その人が「後に豊かになって、自分で買い戻すことができるようになったならば」「売った土地を買い戻さねばならな」かった(レビ記25章25~27節)。また、その人が長い間買い戻すことが出来ないでいる場合も、「ヨベルの年」には無償で「自分の所有地の返却を受けることができ」た(同28節)。

 これは、単なる分配地ではなく、主なる神から各自に分け与えられた〈ミッション〉であり、「嗣業」だからである。

 ユダ族に与えられた「嗣業」はユダ族の〈使命〉であり、他の部族が奪うことも譲ることも出来ない。ベニヤミン族の「嗣業」はベニヤミン族の責任のもとに成し遂げなければならなかった。

 あなたには、どのような「嗣業」が与えられているだろうか。それはあなたの「嗣業」であって、他の人の「嗣業」とは異なる。羨むことも、誇ることもない。

 主人が僕たちに、「それぞれの力に応じて」タラントンを「預けて旅に出かけた」話に似ている。「一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントン」が与えられた(マタイによる福音書25章14~15節)。

 私には私でなければならない働き、即ち「嗣業」がある。他の人の「嗣業」は、私の「嗣業」よりも大きく見えるかも知れない。しかし、大切なことは嗣業に対して「忠実」であることである(同21節、23節)。

 それを手放してはならない。私の責任で買い戻さなければならない。

 自分に与えられた「嗣業」は何かを考えてみよう。もう既に与えられている。そして、その〈ミッション〉を「忠実」に果たすことが出来るように祈ろう。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com