ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マタイによる福音書7章

聖書日課 マタイによる福音書7章(新共同訳 新約pp.11-12)

 7章は山上の説教の最後の章である。イエス・キリストは、幾つかの非常に積極的な勧めをもって宣教を締め括っている。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(7~8節)

 何故そう言えるのか? それは「天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」(11節)からである。そのように信じるからこそ、天の父なる神に求める。そして、そういう確信に生きるからこそ、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(12節)とイエス・キリストが勧めるような積極的な生き方が出来る。

 ここでイエス・キリストは「これこそ、律法と預言者である」(12節)と言われている。聖書が教える生き方は、まさにそういう生き方であり、それは父なる神への信仰によるものである。それ故、これは〈黄金律〉と呼ばれる。

 また、イエス・キリストは「狭い門から入りなさい」(13節)と言われている。「狭い門」とは「命に通じる門」(14節)である。それは主イエス・キリストを唯一にして真の救い主として信じ、愛し、従って生きる道のことである。「それを見いだす者は少ない」と言われているが(14節)、それは少なくても良いということではない。一人でも多く救われるように願い求めていくことが大切である(ペトロの手紙二3章9節参照)。

 そして、最後にイエス・キリストが言われたのが、次の御言葉である。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである」(24~25節)

 イエス・キリストは、ご自分の御言葉を聞いて行う者は、岩を土台として家を建てた賢い人に似ていると言われた。これは私達一人一人の人生の喩えである。雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家を襲うように、私達の人生にも嵐や艱難が襲ってくる。それを乗り越えられるか、それとも倒れてしまうかは、これらの御言葉を聞いて行うか、行わないかによると、イエス・キリストは教えられた。

 この時、イエス・キリストの宣教を聞いた人々は非常に驚いた。それは、イエス・キリストが「権威ある者としてお教えになったからである」と記されている(29節)。

 さて、あなたはどちらに似ているだろうか。これらの言葉を聞いて行う賢い人だろうか。それともこれらの言葉を聞くだけで行わない愚かな人だろうか(26節)。