ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マタイによる福音書6章

聖書日課 マタイによる福音書6章(新共同訳 新約pp.9-11)

 6章の前半では、信仰の行為として、施し(1~4節)、祈り(5~15節)、断食(16~18節)について教えられている。これらに共通して教えられているのは、人に見てもらおうとして行うのか、それとも主なる神に見てもらおうとして行うのかということである。

 人の目を意識する時、信仰の行為は偽善となる。人に気に入られ、人から賞賛を受けるためにするのではなく、主なる神に喜ばれ、主なる神からお褒めの言葉をいただくことを願うからこそ、真実の信仰の行為と言える。これは、言い換えれば、人の目を恐れるか、それとも主なる神を恐れるかということでもある。

 そういう意味で、山上の説教は、私達の目を徹底的に天に向かわせる。天に目を留め、天に心を向け、天にいらっしゃる父なる神と常に相対して生きることを、一貫して教えている。

「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」(19~21節)

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(24節)

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(33節)

 私達の目をまっすぐ天に向け、天におられる主なる神を愛し、信頼し、主なる神に喜ばれることを何よりの喜びとする時、私達の心の目は澄み、全身が明るくなって生きる者とされる(22~23節)。