ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マタイによる福音書8章

聖書日課 マタイによる福音書8章(新共同訳 新約pp.13-14)

「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。』」(16~17節)

 8章には、イエス・キリストの癒しの出来事が沢山記されている。尤も、それは本章に限ったことではない。4つの福音書の中にはイエス・キリストの宣教活動が記されているが、その3分の2は、病の癒しと悪霊追い出しについてである。このように、イエス・キリストの福音宣教には、多くの癒しと奇跡の御業が伴っていた。

 福音は人を癒す。病める身体を癒すだけでなく、痛んだ心、病んだ関係、病んだ人生を癒す。皆さんは、このイエス・キリストの癒しを信じているだろうか。そして、体験しているだろうか。

 私は、教会で奉仕する中で、礼拝や諸集会における聖書の学びと祈りの交わりを通して、人の心の病や身体の病が癒していくのを目撃した。といっても、目の前で突然奇跡が起こったというような劇的なものは余りない。多くの場合、御言葉の学びと祈りが積み重ねられていくうちに、次第に癒され、元気になっていった。そのような人を何人も見てきた中で、私は、福音には確かに人を癒す力があると確信させられている。

 勿論、全ての病が癒されるということではないだろう。残念ながら、癒されないことも確かにある。その理由は分からない。しかし、一つだけ確かに言えるのは、そのような時にも、イエス・キリストはやはり私達の病を担って下さっているということである。

 たとえ病の中にあっても、いや、病の中にあるから尚更、イエス・キリストは私達と共におられ、痛みも苦しみも全てを担って下さっている。そればかりではなく、私達自身を背負って下さっている。そして、病の痛みと苦しみの中でそのようなイエス・キリストに出会う時、私達は真の慰めと深い平安に包まれる。その時、私達の内に真の希望が湧き上がる。

「彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った」

 そのようなイエス・キリストに、あなたはもう出会っているだろうか。