ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 ダニエル書3章

聖書日課 ダニエル書3章(新共同訳 旧約pp.1383-1385)

「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」(28~29節)

 これは大国バビロンの王ネブカドネツァルの言葉である。前章に続いて、一体何が起こったのだろうと思ってしまうような驚くべき言葉である。

 事の起こりは、ネブカドネツァル王が造らせた金の像にあった(1節)。王は、この金の像を拝むように全国民に命令し、もし拝まない者がいれば、燃え盛る炉に投げ込まれると布告した(4~6節)。

 しかし、ユダヤ人のシャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人は、金の像の前にひれ伏し拝まなかったために、ネブカドネツァル王の怒りを買って捕らえられてしまった(12~13節)。王は今すぐ金の像を拝めば助けてやると言ったが(15節)、彼らは王に次のように答えた。

「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(16~18節)

 ここにキリスト教信仰の真髄がある。信仰とは、愛と全能の神を信じることである。現実はどうであれ、主なる神にどこまでも期待し信頼して生きることである。たとえ主なる神が私達の願うように答えて下さらなくても、主なる神のなさることは全て善しとして、どこまでも主なる神に信頼して生きる、ここに自己中心、人間中心ではない、神中心の信仰がある。その時、主なる神はその大いなる栄光の御業を行って下さる。