ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

主日礼拝宣教 2022年9月11日

主日礼拝宣教 2022年9月11日
ダニエル書6章10〜29節(新共同訳 旧約pp.1390-1392)
「獅子の洞窟の中で」

 私達は、この世にあって信仰を守って生きようとすると、迫害や苦難をしばしば経験する。しかし、そのような苦しみは、私達の信仰を更に成長させ、私達を神の国に相応しい者に変える過程にもなる。今日私達に与えられた御言葉から、この世の苦難にどのような姿勢で臨むべきかを見てみよう。

1. ダレイオス王の勅令

 ベルシャツァル王が殺され、バビロンは一夜のうちに滅んだ(5章30節)。そして、続いて「王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった」(1節)。
 ダレイオスが支配した地域は広大であったため、彼は「百二十人の総督を置いて全国を治めさせ」、またその総督を統括するために、「大臣を三人、その上に置いた。ダニエルはそのひとりであった」(2~3節)。しかも、ダニエルには「優れた霊が宿って」おり、「他の大臣や総督のすべてに傑出していた」ので、「王は彼に王国全体を治めさせようとした」(4節)。ダニエルの知恵と聡明さは、国家と世代を超えて認められた。
 しかし、他の「大臣や総督」はダニエルを妬んだ。そこで彼らは、ダニエルをその地位から引きずり下ろすために、「政務に関してダニエルを陥れようと口実を探した」(5節)。ダニエルが隠している筈の不正を暴こうと、密かに調べ上げたのである。ところが、いくら探しても何も見つからなかった。ダニエルは業務において有能なだけでなく、生活においても非の打ち所がなかった。主なる神を知らない人は、悪を行っても、ばれなければ問題ないと考える。しかし、ダニエルは、主なる神を畏れ、愛し、常に主なる神の御前に敬虔に生きていたからである。
 反対者はダニエルを訴える口実を見つけられなかった。そこで、ダニエルを訴えられるよう、ダニエルが遵守する主なる神の律法と相反する「禁令」を作って、ダニエルがそれを犯すほかないようにする策を企んだ。彼らは、ダレイオス王に「次のような、勅令による禁止事項」「定め」ることを進言した。それは「向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる」という内容であった(8節)。ダレイオス王は、自分の王権を確立させるための「勅令」を彼らが考え出したのだと信じ込み、喜んで「その書面に署名して禁令を発布した」(10節)。

2. 「いつものとおり」

 では、この知らせを聞いたダニエルはどうしただろうか。
 私達なら、慌てふためいて、どこかに逃げ込んだり、誰かに頼ったり、大騒ぎするかも知れない。或いは、「勅令」の期限は「三十日間」だから、その間を上手くやり繰りして切り抜けることを考えるかも知れない。
 しかし、ダニエルがしたことは「いつものとおり」であった。

「ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」(11節)。

 このような勅令が発布されたことを知っても、ダニエルは全く落ち着いていた。少しも慌てず、騒がず、「いつものとおり」「日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」。ダニエルは反対者の意図を知っていた。しかし、主なる神だけを信じ、仕えることに関して決して妥協しなかった。ダニエルは、主なる神以外の何ものも拝まなかった。
「ダニエルがその神に祈り求めているのを見届け」るや、反対者たちは「王の前に進み出、禁令を引き合いに出して」、ダニエルを捕縛し、ダニエルを処刑するように王に訴え出た(12~14節)。ダニエルは、神の民として律法を守り行っていた故に裁かれることになった。主なる神を知り、その御言葉に従って生きることは、時に誤解され、攻撃を受けることになる。
 だが、この時慌てたのは寧ろダレイオス王だった。ダニエルを信頼していた王は、「たいそう悩み、なんとかダニエルを助ける方法はないものかと心を砕き、救おうとして日の暮れるまで努力した」(15節)。しかし、「王による勅令や禁令は一切変更してはならないことになって」いた(16節)。それは勅令を出した王自身も例外ではなかった。

3. 「お前がいつも拝んでいる神」

 ダニエルは、捕えられ、獅子の洞窟に投げ込まれた(17節)。ダレイオス王はこのような結果を招いたことを悔いて、「その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし」た(19節)。そして、「夜が明けるやいなや」、王は「急いで獅子の洞窟へ行」き(20節)、「不安に満ちた声」「ダニエルに呼びかけた」

「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか」(21節)。

 このような王の対応からも、ダニエルの人となりを知ることが出来る。
 ダニエルはいついかなる状況の中でも、主なる神を「いつも拝」み、主なる神を「いつも」畏れ敬った。時代が変わり、支配者が移り変わっても、ダニエルがいつも信頼され、重んじられ続けた秘訣、命の危険さえある危機的状況の中でも、ダニエルが平安を保ち続けることが出来た秘訣は、まさしくここにあった。
 そして、主なる神は、そのようなダニエルと共におられ、「天使を送って、獅子の口を閉ざし」、ダニエルを救い出された。ダニエルは獅子から「なんの危害も受け」なかった(23節)。主なる神に守られたダニエルを見たダレイオス王は、主なる神をほめたたえた。

「わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいまし/その主権は滅びることなく、その支配は永遠。この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い/ダニエルを獅子の力から救われた」(27~28節)。

 ダレイオス王は自分自身が神として崇められており、自分が仕える神々もいた。しかし、「ダニエルの神」こそが唯一にして、「永遠」に変わることのない真の神であることを認める文書を国中に発布した。そして、ダニエルを救った主なる神を讃美し、この神を「恐れかしこ」むように命じて、主なる神に栄光を帰した。ダニエルの信仰は、ダレイオス王を通して人々に主なる神の栄光を証しするという実を結んだ。

4. 信仰によって悪に打ち勝つ

 主なる神は、日常をあらゆることを通して、ご自身を示そうとしておられる。私達は、いつも何を畏れ、何を拝し、何を求めているだろうか。ダニエルの祈りの生活は、たまにではなく、苦しい時の神頼みでもなく、「いつものとおり」であった。彼の「いつものとおり」の生き方が、主なる神をダレイオス王にはっきりと証しした。私達も、ダニエルのように、「いつものとおり」祈り、「いつものとおり」礼拝し、「いつものとおり」讃美する。そのような人生を、主なる神と共に歩み続けていこう。どのような状況にあっても、主なる神を信頼し、慌てることなく、恐れることなく、全てを支配されている主なる神の御言葉に従い、真の神を証しする使命を果たしていこう。
 最後に、ダニエルを妬み、陥れようとした人々は、ダニエルに「訴え出る口実を見つけることができなかった」(5節)。そこで、先のような「勅令」を王に出させて、ダニエルを殺そうとした。しかし、ダニエルは獅子の洞窟から生還した。逆に、「ダニエルを陥れようとした者たち」の方が、「妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ま」れ、滅ぼされた(25節)。
 この出来事は、罪のないイエス・キリストの姿を予表している。悪魔は、イエス・キリストを殺して、主なる神のご計画を妨害しようとした。しかし、イエス・キリストは墓の穴から甦られ、逆に悪魔の方が十字架で決定的に敗北した。私達も、悪い者の策略に悪をもって対抗するのではなく、いかなる時も信仰に立って善を行うことを決意しよう。その時、主は御力によって敵に報いて下さる。信仰による真の勝利を勝ち取ろう。