ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下19章

聖書日課 列王記下19章(新共同訳 旧約pp.611-614)

「ヒゼキヤ王の治世第十四年に、アッシリアの王センナケリブが攻め上り、ユダの砦の町をことごとく占領」するという危機が襲いかかった(18章13節)。信仰の有る無しにかかわらず、人生には突然危機に見舞われることがある。信仰が問われるのは、そういう時である。

 ところが、この時、ヒゼキヤはアッシリアの王に降伏し、「主の神殿と王宮の宝物庫」から大量の金銀を取り出して贈った(同14~16節)。あれほど信仰深い王が、どうしてこれほど簡単に屈服してしまったのだろうか? 突然の危機的状況に、冷静かつ信仰的な判断をすることが出来なかったのかも知れない。いかに信仰深いと言っても、ヒゼキヤも決して完璧ではなかった。

 しかし、アッシリアの王が、金銀を手に入れただけでそのまま大人しくしている筈がない。案の定、彼はユダに使者を遣わし、国を明け渡すよう脅迫してきた。しかも、イスラエルの神を罵り嘲るようなことまでして(同33~35節)。

 すると、一旦は財宝を渡すことで急場を凌ごうとしたヒゼキヤ王の信仰が、ここに至って再び目覚め始めた。

「ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った」(1節)。

 彼は重臣達を預言者イザヤの下に遣わし(2節)、国の救いのために祈ってほしいと願い出た(4節)。この時預言者イザヤは言った。

「それゆえ、主はアッシリアの王についてこう言われる。彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために」(32~34節)。

 そして、この言葉通り、主は一夜にしてアッシリアの陣営で十八万五千人を撃った」(35節)。これに慌てたアッシリアの王センナケリブは、即刻帰国した(36節)。こうしてイスラエルの主なる神の力と栄光が現された。

 本当に困り果てた時、何に、誰に頼るか、それはその後の人生を大きく分ける重要な選択である。ヒゼキヤは、一時は迷いもあったが、最終的には主なる神に依り頼む道を選んだ。それには大きな勇気と決断が必要だったに違いない。そして、それにはまず、主の御前に謙り、悔い改めて自分自身を省みることが必要だった。ヒゼキヤはそのために「主の神殿に行った」(1節)。信仰の勇気と決断の力は、そこから生まれた。

「高く、あがめられて、永遠にいまし/その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み/打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり/へりくだる霊の人に命を得させ/打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ書57章15節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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聖書日課 列王記下18章

聖書日課 列王記下18章(新共同訳 旧約pp.609-611)

 北イスラエル王国の最後の王となった「ホシェアの治世第三年」に、南ユダ王国では「ヒゼキヤが王となった」。ヒゼキヤは、ユダ王国に偶像礼拝をもたらした「アハズの子」であった(1節)。しかし、彼自身は信仰の人で、王国に信仰復興をもたらした。

 ヒゼキヤは、「主の目にかなう正しいことをことごとく行い」、偶像を「打ち壊し」ただけでなく、信仰的な歴代の王でさえ取り除かなかった「聖なる高台を取り除」いた。更に、彼はモーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた」。これは、元々、荒れ野で蛇に噛まれた人々が見上げて癒されるために造られたものだった。しかし、イスラエルの人々が「これに香をたいていた」とあるように(4節)、その後次第に偶像化していった。

 このように、ヒゼキヤ王は「いかなる像も造ってはならない」という主の教えを忠実に守り行った王であった(出エジプト記20章4節)。それ故、聖書は彼についてこう記している。

「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった」(5~7節)。

 ヒゼキヤ王がいかに素晴らしい信仰の人であったかが窺える言葉である。主なる神は、そのようなヒゼキヤを祝福し、「彼と共におられ」、彼の企てを悉く成功させられた。

 ここで大切なことを確認しておきたい。今見たように、ヒゼキヤ王は稀に見る偉大な信仰の王であった。しかし、ヒゼキヤが偉大だったのは、彼の企てが成功したからではない。ヒゼキヤ王の成功は、彼が「主を固く信頼し」、決して主から「離れ去ることなく」、主の「戒めを守った」ことに対して、主なる神が与えられた祝福である。つまり、彼が偉大な王となったのは、能力や成功の故ではなく、信仰と従順によるものだった。

 大切なことは、「主を固く信頼し」、主の「戒め」に聞き従うことである。ヒゼキヤはそのことを弁えていた。だから、ヒゼキヤ王がアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった」のも、目に見える勝算があったからではない。依り頼むべき方は誰かを知っていたからである。信仰と従順、これこそヒゼキヤ王の偉大さの秘訣である。

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聖書日課 列王記下17章

聖書日課 列王記下17章(新共同訳 旧約pp.606-609)

 紀元前722年、北イスラエル王国アッシリア帝国によって滅ぼされた。北王国の「すべての地に攻め上って来た」アッシリアは、首都サマリア「三年間」「包囲し」た末に、これを「占領し」イスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行」った。

アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた」(5~6節)。

 神の宝の民、祭司の王国、聖なる国民とされた筈のイスラエルが、どうしてこのようなことになってしまったのだろうか? 聖書は、その理由をはっきりこう記している。

「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。…主が、『このようなことをしてはならない』と言っておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである」(7~12節)。

 勿論、主なる神は、数百年にもわたって、何度も何度も預言者「先見者」を通して彼らに語りかけ、「警告」を与え続けられた(13節)。しかし、彼らは主なる神の言葉に「聞き従うことなく」、心を「かたくな」にして(14節)、主と「主が先祖たちと結ばれた契約」に逆らい続け(15節)、偶像に「自らを売り渡して主の目に悪とされることを行い」続けた(16~17節)。

 こうして、遂に裁きが下された。それはイスラエルの人々が自ら選び取った道だった。彼らは自ら滅びの道を選択したのである。彼らの前には、滅びの道も祝福の道も、どちらも等しく開かれていたにもかかわらず。

 裁きは、決して主なる神が望まれるものではない。確かに主なる神は罪に対して怒られる御方である。しかし、愛である神は、私達の一人も滅びることのないように願っておられる。だから、主なる神は私達の罪の全てを自ら背負う道を選んで下さった。それが独り子イエス・キリストの十字架である。全ての人が、十字架の贖いによって罪を赦され、癒され、救われるように、主なる神は今も私達に語りかけ、警告をお与え下さっている。

「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」(エゼキエル書33章11節)。

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聖書日課 列王記下16章

聖書日課 列王記下16章(新共同訳 旧約pp.605-606)

 アハズ王がユダを治めていた時、イスラエル「アラム」が同盟を結び、エルサレムを攻めようとして上って来た」(5節)。彼らは、その頃次第に勢力を拡大しつつあったアッシリアに対抗するためにユダを力づくで仲間に加えようとしたようである。

 この時、主なる神は預言者イザヤをアハブ王のもとに遣わし、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」という励ましの言葉を告げられた(イザヤ書7章4節)。

 ところが、アハブは主に依り頼まず、アッシリアの王ティグラト・ピレセル」に助けを求めた。

「アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使者を遣わして言わせた。『わたしはあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください』」(7節)。

 アハブにとっては、イスラエルやアラムよりもアッシリアの方が恐ろしかったようである。いや、より本質的には、主なる神よりも目に見える人間を恐れ、主なる神よりも偶像を慕っていたと言えるかも知れない。

 事実、アハズ王は、ユダに「主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習」を取り入れ、「自分の子」を人身御供にさえするような王であった(3節)。更に、アッシリアの王に会うためにダマスコに行くと、そこにあった祭壇を見て(10節)、そっくり同じ物をエルサレムに造らせ(11節)、献げ物をするようなことまでした(12~13節)。アハブにとって、宗教は、自分の欲望を実現する手段に過ぎなかった。それ故、目に見える偶像に頼り、目に見える勢力に従うことをよしとした。

 しかし、それは結局のところ、自分で自分の首を絞める自殺行為であることに、アハブは全く気付いていなかった。確かにアッシリアは、イスラエルとアラムの脅威を取り除けてくれた(9節)。しかし、ユダ自身もアッシリアの攻撃を受けて苦しめられるようになってしまった(歴代誌下28章)。

 アハブ王の姿を見ていると、人間の愚かさの現実を改めて考えさせられる。人がいかに主なる神の御声に逆らう者であるかを思わされる。私達も他人事ではない。私達は主なる神の御声に聞き従って生きていると言えるだろうか。自分の内にある欲望や恐れが、主なる神の御声を打ち消してしまっていることはないだろうか。アハブの姿から自分のありようを顧みさせられる。

「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」

 あなたは、この主なる神の御声にどう応えるだろうか。

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聖書日課 列王記下15章

聖書日課 列王記下15章(新共同訳 旧約pp.603-605)

 ヤロブアム(二世)の時代における北イスラエル王国の繁栄は、主なる神の憐れみによるものであった。にもかかわらず、人々は目に見える繁栄に安住し、主なる神に心を向けることも自分達のあり方を正すこともなかった。

 そのため、その後の北イスラエル王国は、次から次に王が代わり非常に不安定な状態となっていった。この15章には、謀反によって次から次へと王権が代わっていく様子が記されている。

「ユダの王アザルヤの治世第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカルヤがサマリアイスラエルの王となり、六か月間王位にあった。彼は先祖たちが行ったように主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(8~9節)。

「ヤロブアムの子ゼカルヤ」は、王となって僅か「六か月」で、家臣の「謀反」によって殺害されてしまった(10節)。ところが、ゼカルヤを殺した「シャルム」も、たった「一か月」で、メナヘムの「謀反」によって「打ち殺」されてしまった(14節)。

 メナヘムの治世は「十年」に及んだ(17節)。しかし、この時代に、アッシリアが勢力を拡大し、メナヘムは国を守るためにアッシリアの王」「銀を貢」がなければならない状態に陥った(19~20節)。その後、「メナヘムの子ペカフヤ」が即位したが、彼も、「侍従」ペカの「謀反」によって殺害され(25節)、僅か「二年」でその治世は終わってしまった(23節)。

 ペカの治世は「二十年」に及んだが(27節)、この時代にアッシリアの王ティグラト・ピレセル」イスラエル「攻めて来て」、多くの町々を「占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った」(29節)。そして、そのペカも、またもや「謀反」によって殺害されてしまった(30節)。

 目まぐるしいほどの王権交代、これはもう明らかに末期症状である。どうしてこのようなことになってしまったのか? 聖書ははっきりこう記している。

「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(9節、18節、24節、28節)。

 混乱と衰退の原因はここにあった。王をはじめイスラエル中の人々が、この罪を犯し続けていた。しかし、彼らは自分達が滅びに向かっていることを全く見ようとしなかった。勿論、彼らには御言葉の約束と警告が与えられていた。にもかかわらず、彼らは御言葉に耳を傾けず、主なる神を軽んじ続けた。滅亡の日が刻一刻と近づいていた。

「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブライ人への手紙3章15節)。

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2022年9月4日(日) 週報

2022年9月4日(日) 聖霊降臨節第14主日

○礼拝プログラム
招詞 詩編103編22節
讃美 68(父なる御神に み栄えあれかし)
交読 マルコによる福音書14章32~42節(新共同訳 新約pp.92-93)
主の祈り
聖書拝読 ダニエル書3章13〜30節(新共同訳 旧約pp.1384-1385)
祈り 司式者
讃美 51(日かげしずかに)
宣教 「燃え盛る炉の中で」柏本隆宏協力牧師
讃美 228(ガリラヤの風 かおるあたり)
聖餐式
祈り
奉献
頌栄 542(世をこぞりて)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○報告
1. 礼拝に参加される方は、消毒液による手洗いとマスク着用の上、間隔を空けて座り、引き続き新型コロナウィルスの感染予防にご協力をお願い致します。
2. 新しい月9月を迎えました。今朝もイエス・キリストの十字架のご苦難と死を偲びつつ聖餐の恵みに与りましょう。
3. 日本バプテスト連盟の事務所より、11月号の『バプテスト』誌に掲載する祈りの課題について提出の依頼がありました。私達の教会からは、①伝道開始50周年 主に栄光を帰す、②新生の民としての原点を忘れない、③沖縄における主の平和の実現、の3点を伝えました。
4. 病と闘っておられる兄弟姉妹を覚えて癒しと快復をお祈り下さい。
5. 次週9月11日(日)に沖縄では選挙が行われます。イエス・キリストへの信仰は、社会的・政治的問題に関して、特定の政党・主張の支持へと無条件に導くものではありません。それでも、一人一人がキリスト者としての良心に基づき、聖書が教える価値観に従って、市民としての責任を果たすことにより、この世の秩序に神の国の価値観を吹き込むという使命を果たしていきましょう
6. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージを載せていますので、日々の聖書通読の一助としてご参照下さい。
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○トラクト配布について 2022年度: 360部(2022年9月4日時点)
首里平良町 20部
首里桃原町 10部
首里石嶺町 15部
首里赤平町 55部
首里駅周辺 25部
首里駅石嶺駅周辺 135部
浦添前田駅周辺 100部

○聖書日課
4日(日) 列王記下14章
5日(月) 列王記下15章
6日(火) 列王記下16章
7日(水) 列王記下17章
8日(木) 列王記下18章
9日(金) 列王記下19章
10日(土) 列王記下20章

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聖書日課 列王記下14章

聖書日課 列王記下14章(新共同訳 旧約pp.601-603)

 北イスラエル王国にヤロブアム(二世)という王がいた。彼の治世は「四十一年間」もの長期にわたり、しかも彼は「レボ・ハマトからアラバの海まで」イスラエルの領土を回復した。傍目にはヤロブアムは繁栄と安定をもたらした王であった。

 ところが、ヤロブアムに対する聖書の評価は、決して良くはない。

「ユダの王、ヨアシュの子アマツヤの治世第十五年に、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムがサマリアで王となり、四十一年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった。しかし、イスラエルの神、主が、ガト・ヘフェル出身のその僕、預言者、アミタイの子ヨナを通して告げられた言葉のとおり、彼はレボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した」(23~25節)。

 聖書が人を評価する基準は、「主の目」から見てどうかという一点にある。それ故、人の目には繁栄しているように見えても、また安定しているように見えても、その本質は決してそうではないということがある。

 この時のイスラエルはまさにそういう状態であった。聖書はこう語っている。

「主は、イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になったからである。つながれている者も解き放たれている者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。しかし、主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われず、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである」(26~27節)。

 このように、ヤロブアムの時代の繁栄は、王の実力やイスラエルの信仰による祝福ではなかった。ただただイスラエルを苦しみから助け出そうとする主なる神の憐れみによるものだった。現実のイスラエルは、相変わらず罪の中にあった。金の子牛などの偶像を拝む罪を犯し続けていた。それ故、次第に国力は衰退し、外国の攻撃に苦しめられていた。このままではイスラエルは滅びる。そのような状況の中で、主なる神は彼らを守られた。

 私は思う。私達の国がこうして今まで保たれてきたのも、また、今私達がこうして生きているのも、やはり主なる神の恵みと憐れみによるものであると。そうだとすれば、私達がなすべきことは、主の恵みと憐れみに感謝し、「主の目」の前にあって自らのあり方を正し続けることではないか。

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聖書日課 列王記下13章

聖書日課 列王記下13章(新共同訳 旧約pp.599-601)

 神の人エリシャの死が間近に迫っていた。すると、イスラエルの王ヨアシュが、エリシャのもとに来て、彼の面前で泣きながらこう言った。

「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」(14節)。

 ヨアシュは「ヨアハズの子」であり(10節)、イエフ王の孫である。どの王も皆、「ヤロブアムの罪から全く離れず」「主の目に悪とされることを行い」続けた(11節)。そのような王が、何故今、預言者エリシャの死に際して、「わが父よ」と嘆き悲しむのか不思議な感じがする。散々親に反抗し続けた若者が、いざ親がいなくなると、その存在の大きさに気付いて嘆くのと同じような心境かも知れない。人間の心は実に複雑である。

 しかし、そのようなヨアシュ王にエリシャは「弓を手にしなさい」と語りかけた(16節)。そして、「東側の窓を開け」させ、そこから「矢を射」させると、エリシャはヨアシュに言った。

「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす」(17節)。

 これは、ヨアシュに対する勝利の約束である。どんなに背き続けたとしても、主なる神は憐れみの御手を伸ばし続けられる。

 更にエリシャは「地面を射なさい」と言った。すると、王は「三度地を射てやめた」(18節)。ところが、エリシャはこれに怒って言った。

「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破ることができない」(19節)。

 ヨアシュの求めは実に中途半端なものであった。主なる神はイスラエルに完全な勝利を与えようとしておられたのに、ヨアシュには、それだけの信仰と献身の姿勢がなかったのである。人間に頼ろうとはしても、主なる神に頼り求めることを知らない者の愚かさと言えるだろう。

 主なる神が「信じなさい」と言われる時、それは私達にとって〈信仰の挑戦〉の時となる。それは、決して無鉄砲な冒険などではない。私達を命懸けで愛し祝福して下さる主なる神に対する愛と信頼の応答である。「求めなさい」と主なる神は言われる。その約束に大胆に応える者でありたい。

「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」(エフェソの信徒への手紙3章12節)。

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聖書日課 列王記下12章

聖書日課 列王記下12章(新共同訳 旧約pp.598-599)

 ユダの王ヨアシュが即位したのは、僅か「七歳」の時であったが、彼は「祭司ヨヤダの教えを受けて」「主の目にかなう正しいことを行」う王として、「四十年間」の長きにわたってユダを治めた。

「ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った」(1~3節)。

 その信仰的熱心さは、アハズヤやアタルヤの時代に荒れ放題にされてきた主の神殿を修復するなど、素晴らしいものだったようである。

 ところが、歴代誌には、このヨアシュ王についてこう記されている。

「ヨアシュは祭司ヨヤダの生きている間は主の目にかなう正しいことを行った」(歴代誌下24章2節)。

「祭司ヨヤダの生きている間は」とは、少し気になる言い方である。

 ヨアシュ王は、祭司ヨヤダが死ぬと、高官たちの誘いに乗って、またユダに偶像礼拝を取り入れてしまったのである(同17~18節)。そのため、主は「彼らを主に立ち帰らせるため」預言者「次々に遣わされ」、彼らを「戒められ」た。しかし、彼らは主の警告の声に「耳を貸さなかった」(同19節)。それ故、ユダは「アラムの軍隊」の攻撃によって弱められ、その戦いで「重傷を負」ったヨアシュ王は、家臣たちの謀反によって「寝床で殺」されてしまった(同23~26節)。

 若い頃には、あれほど信仰的で熱心だったのに、どうして祭司ヨヤダの死後のヨアシュ王はこうなってしまったのだろうか。

 振り返ってみれば、ヨアシュには、いつも祭司ヨヤダという大きな存在が傍にいた。彼は、ヨヤダによって養われ、ヨヤダによって王とされ、ヨヤダの教えによって王としての務めを果たしてきた。勿論、それは有り難いことである。ヨアシュにとって、祭司ヨヤダは、どんなに感謝しても足りないほど大切な存在だったに違いない。

 しかし、ヨアシュは、結局信仰的な自立が出来ないまま大人になってしまった。そのため、ヨヤダが死ぬとすぐに、今度は高官たちの言いなりになってしまった。

 私達は、人を介して主なる神を知り、人の助けをいただきながら歩んでいる。その意味で、他の人の存在は大切である。しかし、私達が最終的に依り頼むべきは主なる神御自身であることを忘れてはならない。私達と共に、私達の内にいて下さる主なる神の御声と導きに立ってこそ、信仰の歩みは確かなものとなる。

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聖書日課 列王記下11章

聖書日課 列王記下11章(新共同訳 旧約pp.596-598)

 11章には、南ユダ王国の歴史が記されている。

 イエフによって殺されたユダの王「アハズヤの母アタルヤ」は、「息子が死んだ」ことを知ると、「直ちに」ユダの「王族をすべて滅ぼそうとした」(1節)。アタルヤは、元々北王国のアハブ王とイゼベルの娘で、ユダ王国のヨラム王の妻となった。しかし、イエフの謀反によって、北王国の実家(アハブ王家)が滅ぼされ、南王国でも自分の息子アハズヤが殺されてしまった。そのため、切羽詰まった彼女は、自分の立場を守るためにユダの「王族をすべて滅ぼそうとした」

 しかし、このような事態に「ヨラム王の娘で、アハズヤ王の姉妹であるヨシェバ」は危機感を募らせた。そこで「アハズヤの子ヨアシュ」を助け出して匿った(2節)。ヨシェバは祭司ヨヤダの妻で、イゼベルの娘アタルヤがユダ王国にバアル礼拝を持ち込んだことに対して、強い反感と危機感を抱いていた。

 こうして、「七年」の時が流れた。その間、祭司ヨヤダとその妻ヨシェバは、人々の協力を得てアハズヤ王の息子ヨアシュを匿い続けた。そして、ヨアシュが王となるに相応しい年頃となった時、ヨヤダは、王宮の兵士たちを取りまとめて、ヨアシュをユダ王国の王として即位させ(12節)、女王アタルヤを討った(16節)。それは、ヨヤダにとって、ダビデ王家とイスラエルの信仰を守るための命懸けの行動であったに違いない。

 人々は、ヨアシュ王の即位を喜び迎えた。そして、「バアルの神殿」「像を徹底的に打ち砕き」「バアルの祭司」を討って、偶像礼拝を国中から一掃した(18節)。この時のことを聖書は次のように記している。

「ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司ヨヤダは主の神殿の監督を定め、更に百人隊の長、カリ人、近衛兵および国の民全員を率いて、王を主の神殿から連れ下り、近衛兵の門を通って王宮に導き、王座につけた。こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった」(17~20節)。

 偶像が持ち込まれたことによってもたされた混乱と堕落と恐怖が、今漸く取り除かれ、民の中に平穏が戻った。主なる神への信仰と偶像礼拝の共存はあり得ない。主の民の平穏は、主なる神を愛し、主にのみ仕える決意と姿勢の中にこそ保たれるものである。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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