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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下12章

聖書日課 列王記下12章(新共同訳 旧約pp.598-599)

 ユダの王ヨアシュが即位したのは、僅か「七歳」の時であったが、彼は「祭司ヨヤダの教えを受けて」「主の目にかなう正しいことを行」う王として、「四十年間」の長きにわたってユダを治めた。

「ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った」(1~3節)。

 その信仰的熱心さは、アハズヤやアタルヤの時代に荒れ放題にされてきた主の神殿を修復するなど、素晴らしいものだったようである。

 ところが、歴代誌には、このヨアシュ王についてこう記されている。

「ヨアシュは祭司ヨヤダの生きている間は主の目にかなう正しいことを行った」(歴代誌下24章2節)。

「祭司ヨヤダの生きている間は」とは、少し気になる言い方である。

 ヨアシュ王は、祭司ヨヤダが死ぬと、高官たちの誘いに乗って、またユダに偶像礼拝を取り入れてしまったのである(同17~18節)。そのため、主は「彼らを主に立ち帰らせるため」預言者「次々に遣わされ」、彼らを「戒められ」た。しかし、彼らは主の警告の声に「耳を貸さなかった」(同19節)。それ故、ユダは「アラムの軍隊」の攻撃によって弱められ、その戦いで「重傷を負」ったヨアシュ王は、家臣たちの謀反によって「寝床で殺」されてしまった(同23~26節)。

 若い頃には、あれほど信仰的で熱心だったのに、どうして祭司ヨヤダの死後のヨアシュ王はこうなってしまったのだろうか。

 振り返ってみれば、ヨアシュには、いつも祭司ヨヤダという大きな存在が傍にいた。彼は、ヨヤダによって養われ、ヨヤダによって王とされ、ヨヤダの教えによって王としての務めを果たしてきた。勿論、それは有り難いことである。ヨアシュにとって、祭司ヨヤダは、どんなに感謝しても足りないほど大切な存在だったに違いない。

 しかし、ヨアシュは、結局信仰的な自立が出来ないまま大人になってしまった。そのため、ヨヤダが死ぬとすぐに、今度は高官たちの言いなりになってしまった。

 私達は、人を介して主なる神を知り、人の助けをいただきながら歩んでいる。その意味で、他の人の存在は大切である。しかし、私達が最終的に依り頼むべきは主なる神御自身であることを忘れてはならない。私達と共に、私達の内にいて下さる主なる神の御声と導きに立ってこそ、信仰の歩みは確かなものとなる。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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