ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書10章

聖書日課 エゼキエル書10章(新共同訳 旧約pp.1307-1308)

 エゼキエルが見たエルサレム滅亡の幻が続く。

「わたしが見ていると、ケルビムの頭上の大空の上に、サファイアの石のようで、形は王座のように見えるものがあるではないか。それはケルビムの上に見えた。主は亜麻布をまとった者に向かって言われた。『ケルビムの下の回転するものの間に入れ。そして、ケルビムの間にある燃える炭火を両手に満たし、それを都の上にまき散らせ』と。彼は、わたしの目の前で入って行った」(1~2節)。

「ケルビム」とは、神の箱の蓋の上にあった大きな翼を持った天使である。この「ケルビムの間にある燃える炭火」「都の上にまき散らせ」というのは、エルサレムの上に主なる神の裁きが下ることを意味していた。その通り、エルサレムは、バビロンのネブカドネツァルの手によって神殿もろともに火にかけられて燃やし尽くされてしまった。

 これまで見てきたように、その滅びの原因はイスラエルの罪にあった。主なる神がとうとう彼らの罪をバビロンによって裁く日が訪れた。しかし、真の滅びは、バビロンの手によってなされる前に起こっていたことを、私達は決して忘れてはならない。

「主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった」(18~19節)。

「主の栄光」エルサレムの神殿を離れ去った時、それが真の滅亡の瞬間だった。そもそも、イスラエルが神の民であることの本質とは何だろうか。それは、主の臨在と「栄光」が彼らと共にあるという、この一事にあった。その臨在と「栄光」が、エゼキエルの幻の中で天高く上り、神殿から離れ去ってしまった。それは、イスラエルが神の民の本質を失ってしまったことを意味している。そこに真の滅亡があった。

 教会の本質も同じである。それは人数の多少ではない。教会堂の大きさや豪華さでもない。伝統や神学でさえもない。そこに聖霊の臨在があり、「主の栄光」が現される群れ、それが教会である。

 私達の教会には主なる神の臨在と「栄光」が満ちているだろうか。私達の内には、主なる神の臨在が実感されているだろうか。それとも、あのエルサレムのように、主なる神の臨在と「栄光」が離れ去ってしまっていることはないだろうか。罪は私達から主なる神の臨在と「栄光」を遠ざける。主イエス・キリストの十字架によって、罪と汚れからきよめていただくことが必要である。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたの火をこの心に燃やして下さい。この罪を焼き尽くし、あなたの火によって、この心を赤々と燃え上がらせて下さい。あなたの熱い火に燃えて生きる者となることが出来ますよう、主よ、燃やして下さい。

 今日、あなたの民の心にも、あなたの火を点して下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com