聖書日課 歴代誌下5章(新共同訳 旧約pp.675-676)
建築物としての神殿は完成した。最高の資材と技術を用いて仕上げられた。しかし、それで神殿が完成したわけではない。次のように記されている。
「ソロモン王は、彼のもとに集まったイスラエルの全共同体と共に、その箱の前でいけにえとして羊や牛をささげた。その数はあまりにも多く、調べることも数えることもできなかった。祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所といわれる神殿の内陣に運び入れ、ケルビムの翼の下に安置した」(6~7節)。
「ラッパ奏者と詠唱者は声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパ、シンバルなどの楽器と共に声を張り上げ、『主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と主を賛美すると、雲が神殿、主の神殿に満ちた」(13節)。
第一に、罪の赦しときよめのために「いけにえ」の血が流された。第二に、主なる神の御言葉を表す「主の契約の箱」が「至聖所」に「安置」された。第三に、「声を合わせて」「主」への「賛美」が献げられた。
すると「主の栄光が神殿に満ちた」。「主の栄光」は「雲」として現れ、その「雲」の故に「祭司たちは奉仕を続けることができな」いほどであった(14節)。
このような「主の栄光」が現れたのが、罪の贖いのための「いけにえ」の血が注がれ、主なる神の御言葉が中心に据えられ、主への礼拝が献げられていた時であることは、とても重要である。
新約の時代になって、イエス・キリストが私達の罪を贖うために、「いけにえ」として十字架で血を流された。それを信じる私達には、その血が注がれている。
また、主なる神の御言葉が刻まれた「石の板」が入っていた「契約の箱」が「至聖所」に「安置」されたように(10節)、聖霊なる神が私達の内に来られて、主なる神の御言葉を私達の中心に刻んで下さる。
そして、私達は心を一つにして「主を賛美し、ほめたたえ」、主に礼拝をお献げする。
イエス・キリストの血を受け、聖霊を歓迎し、主を礼拝する者に、主なる神はご自身の臨在の栄光を現して下さる。このことを信じて祈り求めよう。
西原新生バプテスト教会
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