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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書21章

聖書日課 エゼキエル書21章(新共同訳 旧約pp.1327-1329)

 本章には、主なる神の裁きについての5つの預言が記されている。最初の4つは(1~32節)、イスラエルに対する裁きの預言が、最後の1つは、アンモン人への裁きの預言が語られている。「火」(3節)、「剣」(8節以下)、「殺戮」(19節、20節)、「荒廃」(32節)などの言葉が繰り返し使用されており、主なる神の裁きの激しさと厳しさがはっきりと表現されている。

「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、顔をテマンに向け、ダロムに向かって言葉を注ぎ出し、ネゲブの野の森に向かって預言せよ。ネゲブの森に言いなさい。主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。わたしはお前に火をつける。火は、お前の中の青木も枯れ木も焼き尽くす。燃え盛る炎は消えず、地の面は南から北まで、ことごとく焦土と化す。生ける者は皆、主なるわたしがそれを焼き尽くしたことを認めるようになる。その火は消えることがない』」(1~4節)。

 それにもかかわらず、エゼキエルは主なる神にこう祈っている。

「そのとき、わたしは言った。『ああ、主なる神よ、彼らはわたしについて、「彼はことわざを語る者にすぎないではないか」と言っています』と」(5節)。

 これは、エゼキエルの預言の言葉を聞いた人々が、全く意に介していないことを意味している。エゼキエルの言葉は、悪い冗談か古い「ことわざ」であって、現実的ではないと彼らは思っていた。

 数百年も続いて来た自分達の聖所が滅びるなど有り得ない。自分達は、礼拝も儀式も行っているし、他の国の人々に比べれば正しく行っている。第一、自分達は主なる神に選ばれた民であり、御言葉もあるし、割礼も受けているし、神殿もある。そのような自分達が異教の国バビロンなどに滅ぼされる筈はない…、彼らはそう考えていた。

 しかし、大切なことは他の人間との比較ではなく、主なる神の御前でどうであるかである。イスラエルの人々は、主なる神の導きに聞き従わず、自分の好き勝手な道を歩んできた。また、偶像を取り入れ、弱者を顧みることもなく、却って弱い者、小さい者を苦しめ続けてきた。彼らは真に主なる神の御前に出ることも生きることもなかった。それ故、主なる神の言葉を正しく理解することも受け入れることも出来なかった。

 振り返って、私達はどうだろうか。私達は真に主なる神の御前に生きているだろうか。主なる神の御声に耳を傾け、その導きに従って歩んでいるだろうか。やがて必ず、主なる神の裁きの日がやって来る。その日を恐れではなく喜びと平安をもって迎えられるよう、今、主の御前に生きる者でありたいと思う。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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